釘煮は遠くになりにけり
昭和の半ば、二月の後半から三月にかけて、近所のあちこちでいかなごを炊いている良い匂いが漂ってきました。
たくさんの佃煮を大事そうに抱えての帰り道、向こうから大きなイノシシがこちらに向かって走って来たそうです。知り合いはこれを取られてたまるものか!と抱えて反対方向に行きましたが、どんどん速度を増して坂を下って来たそうです。
そこで見知らぬおうちのインターホン。鳴らせどお留守のようで仕方なく門扉を開けて中に入ったとたん巨体が体当たりして、今にも扉を壊しそうだったそうです。
何分か立ったでしょうか。もうどうしようもなく思いっきりその大切ないかなごのくぎ煮を放り投げて、そちらに向かった隙に逃げたという…。以前はよくありました。[母も土曜日のお昼三宮の美味しいコロッケを15個あっさりと親子のイノシシに持っていかれたとか…。]
甘辛いその味は家庭ごとに違って、関西地方の郷土料理の一つです。
大きなお鍋に何キロものいかなごの稚魚にお酒、砂糖、醤油に良い働きをする土ショウガ。
これさえあれば白いごはんを何杯も!とみんなが大好き。
最近はスーパーで見かけるぐらいですが、昭和の時代はその季節魚屋さんの売り場のほとんどが稚魚がてんこ盛りでキラキラ光っていて春の訪れを知らせてくれました。
あの上品な魚が、炊きあがると錆びたくぎみたいになってそれが名前の由来だと聞きました。
盛んに作られたのは長田より西側の地域が多いそうですが、私の友達も「来年は無理かなあ?」と言いながら、スーパーで見かけたという情報が入ると大きな買い物袋を持って走ります。
ところが最近は彼女のいかなごに対する情熱が年々しぼんでいます。
気楽に近所中に配るほど気楽に買えないくらい高級品になってしまったかららしいのです。
我が家はなぜか祖母たちの作る姿を見たことが無く、何軒かの知り合いから頂くのが常でした。
お返しはたけのこご飯や、今はめったに見ない土筆のお浸し。たまに桜鯛の昆布締めなどを持って行きました。
大体玄関に着くと同じセリフ。「今年もありがとう!美味しかったわ。」
なのになんだか毎年新しい。
それは私が小学生になったり叔母が結婚したりといろんな家族のニュースが加わるからかもしれません。
環境が変わってきたのですから、海のそれも違って当たり前かもしれません。海の美しさも永遠ではないということです。
たまにクジラが座礁して悲しい最期を迎えたり、旬と言う言葉もなくなるのではないかと思える魚が大量に釣れたり…。
そんなことを思うと、自分が出来る身の回り、すべては海に流れるということを心に刻むべきでしょう。
モノが十分でなかった昭和のお母さんたちが、家族や知り合いのために半日かけて作るくぎ煮はどんどん遠くになっていきそうですが、その時の活気があった町や、近所中に蔓延!していた春の匂いは私の心に残っています。
子どもたちが孫たちに話す春の風物詩、食べ物では何になるのでしょう。
知っているから切ない、知らなければ新たなものがその人に春を伝える香りになるのでしょう。
今日もいい日にしましょう!
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