今年はもっと個性的に
最近は個性豊かと言う言葉がだいぶですが、普通になってきました。
髪型、服装、考え方、そして生き方。
なのに世の中にはまだまだ悩める男女の多いこと。
どんな風に振る舞っても許されるということとは少々違いますが、おおむねOKなんですがね…。
自分を持っている人にとっては住みやすい世の中。そうでない人には何をどうしていいのかわからず人やモノに頼るという両極端が存在しているのかもしれません。
右に倣えは一見、平和で争いごとがないようですが一つ間違えばその団体自体があらぬ方向に進んだ時、取り返しのつかない事態も起きて、最近世間を騒がしていることもあります。
人に合わせることは時として大切ですが、そこにその人の意思があるかないかでのちに後悔の種になりうることもあります。
ところが時代が逆戻りしだしたのか一部では自分らしく出来ない若者どころか中年もいて不思議な世の中になってきました。
「個性的」をいい風に取れないのは日本だけでしょうか?
欧米ではそれは当たり前の事。「同じように!」と言う方が頭をかしげられるようです。
「普通」を良しとし、個性的は「異端」となります。
そんな考えの昭和生まれもだんだんと少なくなってきましたが、押し付けてもいないのにこの世の中に順応するために身に着けた「普通」にあこがれる若い人もいます。
なぜみんなと行動を共にするのが良しとされたか。「まとめるにはやり易いから」と聞いたことがあります。それがあったから日本がここまで戦後の驚異的な復興を成しえたのだと。
時代が落ち着いて欧米の文化が流れ込んできて、それにあこがれを持つ若者がタケノコのように現れました。最初に何かを始めるには勇気が要りますが何かを壊さないと新しいものは生まれないとの考え方です。
それを破れないのは世間体。令和の時代になっても人の目を気にする。
日本人にありがちな「みんな」と言う言葉に縛られています。
「赤信号みんなと渡れば怖くない」ということではありませんが、集団で行動すれば安心と言う「ゆりかご」に守られるように思っているようです。
少し意見が違うと変人扱いをしたり自分より自由な人を見るとうらやましいを通り越してやっかむことになります。でもそれは本心ではなく、悔しい気持ちの嫉妬心かも。
自分の意見や思っていることを言えないでいるといろんな場面で損をします。損得とは下世話な言葉に聞こえますが、銭勘定ではない、生き方の問題だと思います。
自由な発想ができるかはその人次第。いろんな経験の上に個性は存在します。人に頼ってばかりで、自分の考えのない人はある意味自分で自分自身を放棄していると言えます。
その人らしさが真の自由、個性です。
我儘はあるがままとも。
魅力のある人は群れない強さを持った人です。意味のない群れの中にいるより価値ある孤独を楽しむことが出来れば、本当のその人が現れるような気がします。
特に日本の女性は、長らく個性を殺す生き方を強いられてきました。
従順、謙虚、しとやかさ。男性目線の女性像です。
現代は風通しもよくなってきて強い女性が活躍する場が多くなってきました。
強いとはもちろん精神的なことで、男性を力で負かすという意味ではありません。
個性と個性のぶつかり合いは激しく相容れないように見えますが、結局はお互いを認め合うことで、それぞれを輝かせる大きな力になりそうです。
「そんな面倒なことを!」と言いたげにニケはストーブの前に陣取って、可愛い寝息を立てています。
今日もいい日にしましょう!