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昭和のゴールデンウイーク

その当時はそんな呼び方ではなかったと思います。
連休!ですね。それも土日が絡めば2日か3日。
うろ覚えでのその連休。まだ幼稚園にも通っていないころです。
定番の王子動物園ではなくて父は珍しく母と私を奈良公園に連れて行ってくれました。

大仏殿の大きさに圧倒され、入るとその暗さは少々おどろおどろしい⁈雰囲気、それは荘厳なという言葉を知らない幼さから感じたものだったに違いないのですが、早く外に出たいなあぐらいでした。ぐるっと一周。父は大きな柱に人が集まっているところに連れて行って「くぐっておいで!」と言いますが、それでなくても早くこの場を逃れたい私には「なんでー?」という思いだけでした。

難無くくぐると向こう側で両親が嬉しそうに待っていました。
やっと明るい外に出ると鹿がせんべい頂戴!と群がっています。
父は「無病息災」とは言いませんが、これで安心みたいなことを言ってました。

それよりその大きさが大仏様の鼻の穴と同じと聞いて「さぞ大仏様は痛いだろう!」とその結びつきが今の子供と違うところです。

母はお弁当を用意していました。シートを敷いた芝生の上に置かれた三段のお重⁈がお正月みたいで嬉しさのあまりぴょんぴょん飛びながら卵焼きを食べて叱られたことを妙に覚えています。外で食べるって当時はものすごく特別でした。

芝生の青臭さとゆったりと寛いでいる鹿、遠くにこんもりとした若草山。神戸にはない景色が広がっていました。

今ならみんなラフな格好で楽しみますが、ピクニックであってもきちっとしたスーツ姿の父と柔らかいワンピースの母、何とも堅い格好ですがそれが普通でした。

神戸から奈良、今なら阪神電車1本で行くこともできますが数時間かけて父は私に何を見せたかったのだろうと今更ながら思います。神戸に無い文化をと思ったのかもしれません。私を子ども扱いしない父でしたが何とも私にとっては渋い選択でした。

今どきの親なら、きっと子供に行きたいところ、見たいものを聞いてその願いを叶えるでしょう。
子供中心のゴールデンウイークはこども喜び親は疲れる。それがピッタリだったのは主人と子供たちでした。私たちが出来なかったことをすべて子供にという父親でした。

何も予定のない私は庭を眺めながらニケと雨のやむのを待っています。

今日もいい日にしましょう!



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