立場での思いやり
正しいか間違いなのか。どんな場合でもはっきり決着をつけないと気が済まない人がいます。
ある程度のことは真実かどうか調べることはいいことですが、この年になるとどちらでもよくなってきたことが増えました。
自分でこれなら受け入れられると思える程度ならいいかなあと。いろんな人がいるんだから仕方がないことですが、すっかりそれを忘れています。
論理的に説明できても人と人。それだけでは納得いかないこともあります。
腹八分目ではありませんが、そのぐらいの気持ちで暮らしていると、安定してイライラすることも少ないように思います。
自分の意見をはっきりということは大切。人の意見をよく聞くこともですが、そうであるなら、お互い半歩譲ってというところで手を打つことです。
そこにもお互い様!の精神。
立場が違って納得いかない場合でも自分がその立場ならと考えると少し今の頑固な気持ちが崩れることがあります。
それはプライドという硬い固まりがひび割れたこと。すると柔軟な新しい考えが生まれることもあります。それは決して負けたことでも恥ずかしいことでもありません。
いろんな立場の経験をするとどちらもの気持ちやそうせざるを得ないことが分かってきます。
一つだけの立場の経験では気が付くことが難しいかも…。
よく言う親になって親の気持ちがよくわかる。
子どもの時には親の言ったことが理解できずただ頭ごなしで叱られることに反発していても自分がその立場になると同じことを言っている。
でもその時、年長が言うのだからと飲み込んでもそれが正しいとは言い切れません。人を納得させることが出来ないときもあります。
そこに知識、教養、経験に加えて相手の立場を重んじる気持ちが無いとただの押し付けになります。
その人の言うことが素直に聞けないという人はたくさんいますが本人が素直ではないということだけではなく、相手を尊敬できないこともあるのかもしれません。この人が言うのならと思えるかどうか…。
完璧な人はいませんが、その人を信頼しているとすんなり気持ちにしみ込んでくる場合があります。
医者が「私に任せなさい。きっと良くなる!」と言ってくれても「本当に?」と思えるものですが、その中に「この先生を信じてみよう」と思えることがあれば、自分でも治そうという勇気も湧いてきます。
この先生にかけてみようと思えるものです。
生身の人間同士、そこには感情も交じって複雑ですが、お互い相手を思っての行動や言動なら、ここらへんで手を打ちましょう!が一番平和な気がします。
固い四角四面な考えよりどんな形にもなれる水のような柔軟な感性でいたいものです。
今日もいい日にしましょう!
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