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8/12 読了『ピンク色なんかこわくない』

 『きみはだれかのどうでもいい人』に続き、伊藤朱里さんの作品。今回は家族のお話です。

『ピンク色なんかこわくない』


 あらすじはこちら。書評もとても読み応えがあります。(今回はネタバレ注意かも……)

 献身的すぎる母親に長女だけを溺愛する父親。三人の姉妹と歳の離れたもう一人の娘の四人姉妹のドラマ。
 語り手は美しい長女「いっちゃん(一番初めの一番でいっちゃん)」、次女の「ハカセ」、家族の中で唯一それらのあだ名で相手を呼ばない四女愛子、母親、そして愛子の息子(一人称ではない)です。三女の「あの子(作家)」の語りはありません。

 姉妹の語りに出てくる母親の態度はどこか不可解で、肝心なところで娘を支えてあげられていない。それどころか、追い打ちをかけているようにすら見えます。
 母親の語りにきた時、その態度の理由がわかったように思いました。  
 娘に対する「羨ましい」と自尊心の低さが本人も気付かぬうちに受容を拒んでいたのです。
 お姫様のように愛されたかった母は美しいいっちゃんに打ちのめされ、次に養子がダメなら勉強をと努力して挫折した母は、有能なハカセにくじかれ、作家を夢見た母は、作家となったあの子を仰ぎ見ました。母はひたすら食事を用意し、尽くすポジションにしがみついたのです。自分を消し、まるでスターのマネージャーのように。そしてそれは当時求められた母親らしさだったのかも知れません。

 娘たちは苦痛でも、差し出された母の愛を無碍にはできません。歳の離れた四女は、姉たちと母のズレて不毛な関係に巻き込まれたくないと感じます。

 母親は娘に何かを矯正したわけでも、自分の生きられなかった道を強いたわけでもない。けれど母は自分の道ではなく、娘の中で生きようとしていました。尽くすことで、心配することで、コントロールする。
 娘たちはなにかがおかしいと勘づき、苦しむけれど、退けきれない。母が娘を羨ましいと妬む感情と、誇らしく思う気持ちとがないまぜになって注がれ、その片方だけを受け取ることはできない。愛情を感じても憎しみとワンセットでしか受け取れない。

 子どもに憎まれて、踏みつけられて旅立たれるのが母親なのか。そう感じた四女愛子は「母みたいになりたくない」と口にします。
 時は過ぎ母となった愛子は息子を子供扱いせずに、理解できるだろう範囲の言葉を選んでなんでも事実を話そうと決めていました。性差をつけず、親である自分のことを名前で呼ばせます。母親と呼ばれたくないのです。
 子供ができても、私は私であり続ける。献身的に娘たちに全てを捧げる「お母さん」になって、人生を食い潰されるのはごめんだという強い思いが表れているかのようなエピソードです。

 「母みたいになりたくない」を強烈に意識する愛子は、母に囚われているように見えます。子どもは誰しも一度は親の価値観を否定し、そこから飛び出すけれど、次第にその感情は和らぎ、親の考えは人々の考えのうちの一つに過ぎなくなる。強烈さが失われる。
 「母のことを一番わかっているのは私」としがみつく三女のあの子と、自分を持てなかった母の共依存関係も強烈ですが、愛子の頑なさ(母への執着)も実は強烈なものだと感じました。

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 今日も日付を超えてしまった〜。
 ……ちなみに私も三人の弟妹を持つ長女です。
 ではまた明日。

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