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8/4 読了『きみはだれかのどうでもいい人』

 写真は、ふらっと入った和菓子屋さんにかかっていたアート。
 同じものを注文して読書タイム。
 ネタバレありの記録です。ご注意を。

『きみはだれかのどうでもいい人』


 読んだのは伊藤朱里さんの『きみはだれかのどうでもいい人』
 あらすじは出版社のHPでご確認ください。


 この本から私が受け取ったのは、「相手がその人らしからぬ辛辣な態度で発した言葉は、真に受けてはいけない」ということ。それから「私は間抜けだなどと茶化し、苦しい出来事を軽く見積もろうとしてはならない」ということ。

 中沢環・染川裕未・田邊陽子・堀セイコ。四人の語り手は、それぞれの事情で、みな心に余裕がない。
 空気が読めず、要領の悪い須藤深雪は彼女らの苛立ちを誘ってしまう。

 余裕がない時、人は相手に自分の事情を上乗せして物を言って気がつかない。後から八つ当たりだったと気づく中沢環は聡明で、田邊陽子のように問題があるのは相手なのだと思い込んでいるのが一般的だ。
 染川裕未は誰かの棘のある言葉を真に受けて、自分で自分に問題を見出そうとして病んでしまう。現実は、ただ相手が自分の事情を上乗せして、当たっているだけなのに。相手の気持ちを整えようと必死になって、自分の気持ちを無視してしまうのだ。自分に問題があるのではと自分にフォーカスし続けると、相手が見えなくなる。現実が捉えられなくなる。病みのルートだ。

 余裕のない環境では、病みのルートに入ろうとする人に気づき、支えることができない。
 支援枠でバイトに入った要領の悪い須藤深雪、トラウマを抱えたまま病気休暇から復帰した染川裕未は、それぞれ「この程度のことくらいできて当然なのに」と自分を責める。「間抜け」「どこの貴族か」などと軽い言葉で自分を詰り、茶化す。これは心の内で泣いたり、怯えたりしている自分の感情を無視し、口を塞いで鞭打つ虐待、セルフネグレクトだ。恐怖や悲しみを感じる代わりに、惨めさに浸ることで人生を停滞させている。それが癖づいている。

 周囲の評価を気にして、自分の事情にとらわれている中沢環や田邊陽子は自分の理想を守ることに精一杯で、染川や須藤の癖に苛立ちはしても思いやる余裕は全くない。迷惑をかけることを恐れてビクビクしている染川、須藤も同様に、相手の状況を見る余裕がなく結果的に不興を買う。誰もが皆、相手が自分をどう見るかばかりを気にして、相手自身に関心を寄せられない。

 職場の人間関係をピリピリとした窮屈なものにしているのがお局堀セイコだ。堀は口うるさく、支配的で高圧的。ほんの少しの綻びも許さない。
 堀はかつて職場で起きた破滅的な出来事に責任を感じ、今の同僚たちが同じ目に合わないか恐れている。もう二度と、絶対に同じようなことが起こらないようにと怯えているのだ。
 過去に囚われた堀は、まるで相手が何もできない赤ちゃんであるかのように監視し、思い通りに動いてもらえなければ安心できない。自分の領分を超えて背負い込み、人を窮屈にする。

 もう二度とと思えば思うほど囚われ、その苦い過去に現実が引き寄せられるのはなぜだろう。
 二度と失敗してはならない、二度と些細なことで傷付いてはいけない。そう念じて固くなった須藤や染川が、繰り返し惨めさを再現してしまうのと同じように、堀の恐れも現実になる。


 この物語では四人の語り手それぞれの背景が描かれるが、明確な着地点がない。
 終盤、傷つきやすかった染川は、相手の言葉を真に受けたりせず「知らねえよ」とはねつけるべきだったと気づく。ようやく自分の感情に味方する勇気を得たのだと私は感じた。自分を勇気付けることができれば、惨めさは再現されなくなるだろう。健全な関係を築く準備が整う。染川の見出した着地点だ。

 しかし堀はそれを責める。そのとき堀が見ていたのは、現実の染川ではない。若い染川の知らぬ堀のトラウマ「過去の破滅的な出来事」だった。堀は染川の文脈を無視し、ただ「相手のことなんか知ったこっちゃないと言っている」と捉えて憎む。まるで過去の破滅は染川(のような人間)のせいだと言わんばかりに上乗せする。染川は相手のことなんか知ったこっちゃないとは言っていないのに。
 自分の傷つきに向き合わずにいると過去に囚われて、目の前の相手を無視してしまう。自分の文脈でしか話せなくなる。この時の染川と堀は見ているものが全然違う。会話が成立していないのに、そのことに気がつかない。

 弱者を守りたいはずだった堀は、結局弱者を追い詰める。何らかの理由で自分の文脈に囚われているから、相手の文脈が見えず、こじれる。すれ違う、傷つける。
 お腹が空いている、心配事がある、締め切りに追われている、失敗してしまった、お金がない、疲れている、直前に嫌なことがあった、あらゆることが余裕をなくす原因になる。余裕がないと相手に対処できずに当たってしまう。必要なのは余裕なのだ。
 それなのに「対処できなかった」ことにだけ注目し、落ち込んだり焦ったりする。子供を怒鳴ってしまった親が、後で自分を責めるように。
 必要なのは責めることではなく、余裕がなかったことに気づき、その原因に対処すること。傷に囚われているからなのなら、まず自分の囚われに対処することだ。そうして、自分で自分に余裕を作る。

 言われた側は「相手がその人らしからぬ辛辣な態度で発した言葉は、真に受けてはいけない」私ではなく相手の事情でそうなっているだけなのだから。
 そして傷つきを無視し「私は間抜けだなどと茶化し、出来事を軽く見積もろうとしてはならない」無視された感情は傷のまま残って私を捉え、余裕を奪うから。

 傷は誰もが何かしら持っているものだが、ショックな出来事に深く囚われ、病んだ染川や須藤のような状態、感じ方に歪みの出た堀のような状態は、一般に理解し難いかもしれない。
 誰しもが傷を持って生きているからこそ、いつまでも囚われ続けている人が許せない。みんな頑張ってるのに。目の前の現実に対処せず、自分の事情で精一杯でいることに苛立つ。
 そうして発した叱咤激励が、囚われている人の目を覚ますどころかますます盲目にするのは、自分の感情を無視することを促進してしまうからだ。「みんなできることなのに、こんなことぐらいで」と。なんという悪循環。

着地点が見えない分、いろんなことを思い巡らせることになった。
 マイクロアグレッションがてんこ盛りで、ゾワゾワとする話でもあった。


 今日の記録は、紹介というよりはしっちゃかめっちゃかな自分用メモになってしまった。
 自分の関心に囚われて、伝える意識がおざなりになってしまうんだね。
 読書や映画の記録を紹介のレベルに持っていくのは難しいな。
 改めて人の興味を誘うレビュワーさんの凄さを実感!

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