見出し画像

いつも幸せそうな私のおばあちゃんの話

私のおばあちゃんは、毎日ささやかな幸せを噛み締めて生きている。

控えめに言って最高の生き方だと思う。

今回はそんな私のおばあちゃんの自慢話をしてみる。

おばあちゃんの暮らす穏やかな町

子供の頃、よくおばあちゃんの家に遊びに行った。北海道の新ひだか町という、田舎にある一軒家。
新ひだか町はのどかな街並みだけど、イオンや無印と、意外と大きなお店もある。

地元で有名な洋菓子店もある。ここのスイートポテトが程よい甘さで美味しい。

暮らすのに困ることはほとんどない。
札幌からバスで1時間ほどで行けるので、すぐ遊びに行ける。暮らしやすい、程よい田舎。

普段は静かなこの町にも、春には桜まつりも開催され、各地から桜並木を見に多くの人がやってくる。
二十間道路という一本の道路脇に、2000本ほどの桜が植えられている。
桜は濃いピンク色に染まっていて美しい。

小学生の頃なんかは、夏休み中に2週間程度おばあちゃんの家に泊まらせてもらって過ごした。
おばあちゃんの得意料理はほっきご飯で、遊びに行くと毎回作ってくれた。
ほっき貝の入った甘じょっぱい味付けの炊き込みご飯で、私の大好物だった。
ほっきご飯を食べる私を見て、おばあちゃんはいつも嬉しそうにしていた。
私を溺愛してくれていたし、私も子供の頃からおばあちゃんが大好きだった。

おじいちゃんはいつも食べ物を勧めてくれる。
お昼を食べたばっかりなのに、果物やお菓子がじゃんじゃん出てくる。
とにかくあの家は優しさで溢れていた。

おばあちゃんの口癖

一緒にご飯を食べていると、いつもこの言葉を口にする。

「みんなでご飯を食べられるのは幸せなんだよう」

「幸せだねえ」

満面の笑みで。
細めた目の奥がキラキラしている。
つられて私も笑顔になって、幸せだなあ、と感じる。

おじいちゃんに聞くと、これがおばあちゃんの昔からの口癖だったみたい。

一緒にご飯を食べる、ただゆっくり過ごす。
何気ないことに幸せを感じられるおばあちゃんは最高だ。

幸せの本質

おばあちゃんと一緒に過ごしていると、幸せとはこういうことなんだろうと感じる。

今あるものをちゃんと抱きしめる。
満足して生きる。
まさに「足るを知る」を体現する人だ。

私たちは普段「何か足りない」と思いながら生きている。
平日は毎朝仕事に行きたくないなーと考え、仕事中は早く仕事終わらないかなと思っているうちに、一週間が終わってしまう。

きっと、私たちにとっては日常の小さな幸せを感じながら生きるということ自体が難しいんだと思う。

自分でも気づかないうちにもっともっと、あれも欲しい、これも足りないと思ってしまう。

もし、日常の一つ一つをちゃんと噛み締めて生きられたら、おばあちゃんみたいに笑顔で生きられるかもしれない。 

何も特別なものは持っていなくてもいい。
お金も、たまには贅沢しながら、でも穏やかに生きられる分だけあれば十分。

日常的に幸せを噛み締めて生きていけるよう、常に意識して 過ごしていきたい。

おばあちゃんを見ているとそんなふうに思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?