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余白はなぜ美しいと感じるのか。

使う部材を最低限まで削いで
色調も彩度も合わせたミニマルな空間に
古くて朽ちかけている物を置く
みたいなコリアンミニマルがトレンドですし割と好きだったりします。

流行りを追いかけてるのもありますが
1990年代のミニマルムーブメントの踏襲的なニュアンスも
干物食ってる感じがして好きです。

干物感は
「伝統を守れといったが古いものをそのままそっくり残せといったわけではなく新しい時代に対応する現実感覚を持ち合わせるのだ」
みたいな岡倉天心的温故知新が好きで美学を感じます。





干物感として衣紋掛けをセレクトしてますが
ベッドサイドにカーディガン掛ける物あると良いよね程度の理由です。

付け足すと
衣紋掛けの放つ独特な神聖性と言うかゼロ磁場感が好きで
ちょっと鳥居的な見た目と適度な邪魔くささが愛くるしいと思うわけです。

愛知にあるアンティークマーケットさんで6000円で買った衣紋掛けに職人さんに無理やり鏡付けてもらいました。

5着以上掛けると倒れます。最高です。





最近のテーマとして挙げられることが多い「余白」と言う概念も考えるべきだなと思うわけです。

日本のインテリアの余白感は狩野探幽と言う絵師が発端なんですが
江戸初期の建築ラッシュで大量に絵の生産しないといけなかった効率化から来る手抜き加減を
「武士の精神性」としてポジティブ変換した狩野探幽みたいな感じですね。

余白を「使う人が埋めることで完成する」
みたいな茶道や華道的な考え方が
佐藤可士和的で千利休的で本当に本当に本当に尊いと思ってしまうわけです。

大好きです。





僕としても質や価値を考え続けていますが
完璧や成長や進化と言った西洋的価値観よりも
「生きることに完成はない」というような老師的東洋思想が今のモチベーションにしっくり来ています。

「道教の琴ならし」ですね。

あらゆる物を相対的に見る
絶対にこうだと思い込まない
美しさは見つけるもの
善も悪も一定ではない
みたいな価値観は今の建築やインテリアにとっても必要な見方であり色気ではないかと思うわけで。

施主との関わりもリノベーションの捉え方も岡倉天心や狩野探幽的なビジョンは持っていた方が良いよなーなんて思います。

感情移入できる余白。

「腕よりも魂、技術よりも人」





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