「日常の中の無心」
規格化した骨の組み方を変えて、部屋の広さ高さ形状、用途に対応する。
「気分が変わる」は、人のペルソナが起因すると考える。
所属するコミュニティの数だけ我々はペルソナを被るわけだけれど、2012年あたりから所属コミュニティ数も加速的に増えたしこれからも増え続ける。
所属コミュニティの数だけペルソナはあるわけだ。
それぞれのコミュニティ内でのポジショニングも、アクティブ層、中立層、傍観層と分かれていて、コミュニケーションや時期などによってコミュニティ内のポジションも移ろぎ、ペルソナの変形も起こる。
所属コミュニティを渡り歩く中でペルソナの付け替えをする必要性と、所属コミュニティ内のポジショニングによるペルソナの変形が必要なわけだ。
幸福という価値観があるのは我々人だけで、人の持つ知性とは「幸福の定義付け」で、ペルソナが増えること自体は幸福なことなのだが、ペルソナの付け替えと変形に大きなストレスを伴う。
総括すると日々そのペルソナを変え続ける行為が「気分が変わる」ではないかと考え、裏を返すと気分を変えないと孕んだストレスを消化できないわけだ。
そしてそのペルソナの影響を受けるのが、その仮面を外す瞬間で、1人になる時。
「自分の部屋」というのは、ペルソナを外した剥き出しの自覚が反映される空間で、特に自身が感じてるストレスが映写される。
買っちゃう人、食っちゃう人、寝ちゃう人、ストレスの反映のされ方はそれぞれだけれど、ストレスの解消に対して最も有効なのは、「自覚すること」なわけで。
所属コミュニティごとのコミットメントバランスは随分激しく揺れ動くわけなので、「自分の部屋」もそれくらい揺れ動いて良いのではと。
無心に組み替える瞬間のシングルタスク感はろくろ回して皿作るみたいな瞑想的瞬間なわけで、脳も心も止めてひたすらに筋肉だけ動かし続けるみたいな瞬間を日常に組み込むことは随分必要だと思うわけです。
「手元にあるもので大いに楽しむものこそ賢者である」
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