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人工的に作られた機能美と自然の摂理としての機能美の違いは何なのか。

キッチンは梁下に据え付ける計画のため既製品が難しく家具職人さんに作って頂くことになりました。

扉材はアイカのRK-6000でフラッシュにしてもらってます。コスパ重視。

レンジフードは富士工業さんのUSR-1AMとかのやつです。これもコスパ重視。

ワークスペースは内部に家電を収納できるようにしてて天板は施主が楽天で買われたメープル材を製材してます。

2万くらいだったらしい安い。製材と運搬費の方が高くなりました。たしか3.5万くらい。





何度も3Dでバランスの検討してたんですが
キッチンの機能感が抜けず困ったもんだと考えていました。

キッチン自体の機能感の美しさは好きなのですが
居間とのバランスに対しての違和感が拭えなくて。

何がそうさせてるのかと考えた時に美しさの質の違いが違和感を生んでるのではないかと仮説が立ちました。

そもそも機能のあるものの美しさとはなんなんだろうと。

機能を考える時に人工的に作られた機能と自然の摂理としての機能の違いで機能の美の捉え方が変わるわけです。

キッチンみたいな安全性と効率を備えた機能としての美しさと
植物のように土砂崩れをしないように根を張り葉を蓄え土への水の流入を抑えるみたいな自然の機能の美しさの両方に我々は美しさを感じるわけです。

ではなせ美しさを感じるのだろうとなるわけですが
人工的機能は無駄のない様の削ぎ落とされた美しさ
自然的機能は侘び寂び的循環の美しさだなと。

対極にある2つの美の混在は比率がデリケートで
今回の場合はインテリアデザイン的黄金比でよく言われる
7:2.5:0.5の比率が丁度良かったです。

キッチンに関しては人工7:自然2.5:有機物0.5みたいな。

たまたま施主が買ってきたメープルがひとつまみの塩みたいな感じになってくれました。ファインプレイ。





広い意味では人工的でも自然的でも機能はすべてのものに付与されているわけですがそういう意味ではすべてが美しいとも言えるわけです。

つまり「機能的なものが美しいのではない。美しきもののみ機能的である」に至るわけで「あるべき姿に還る」みたいな考え方です。

丹下健三ですね。

最終的には自然最強みたいな感じです。

丹下健三が機能美という言葉を使ったのが1987年ごろからで
削がれていくプロセスを続けて行った時に見えてくる超自然みたいなものが実に禅的だななんて感じたり。

柳宗悦の「用の美」とも思想感は近くて機能美の中にも含まれている「素朴さ」を大切にしていくことが必要なのだと思うわけです。

「必要な文だけ」みたいな用の美的レギュレーションを超えた瞬間に「仏作って魂入れず」的なメタボリズムが生まれてしまうのではと。

身の丈は意識していきたいものです。

「背伸びは地に足がついてるからしても良い」

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