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なぜ同じが安心するのか。

不眠症の施主と一緒に枕選びもしてました。

西川さんからニトリまでいくつか足を運んで結果ブレインスリーパー。

これも論文ベースのチョイスで睡眠という感覚的な行為にロジックで挑むという味わい深さ。

AIモーション×ブレインスリーパーというおそらく市販されてる中でのロジック最強の組み合わせですが全く不眠症治ってないみたいです。

笑っちゃった。

改めて寝る調べると神経×脳×筋肉の関係がポイントみたいで。

その3ポイントでオフになってる状態を作るのが良いみたいで。

ドーパミンとセロトニンとオキシトシン。

特に寝る時はセロトニンとオキシトシン。




寝るについて調べていくと間取りや内装の面でも再構成の必要は感じました。

我々は外から帰ってきて居間や食卓で家事やらをなんやかんやして寝るみたいなタイムテーブルだと思います。

その時に必要なのが意識のゼロ地点。

美術館のホワイエや神社の鳥居みたいなウォッシュアップできる時間や空間や行動は必要で。

玄関に来るまでのアプローチや玄関ホールや居間や食卓がゼロ地点としては適してるかと思っています。

アスリートがアドレナリンコントロールするためのルーティンみたいな感じで。

アプローチや玄関や居間や食卓を意識のゼロ地点として実装できるのが建築やインテリアだけかと。

カラビヤウ多様体みたいな。





寝室に悩みを持ち込まない的なことは大昔から言われてますがやはりそれは正しくて。

我々は哺乳類なので社会性は動物性に依拠しているのですが精神性は植物性に依拠しているのではと考えたりしています。

どんなに刺激が好きな人でも毎朝飲む味噌汁は美味いみたいな。

要は我々はゼロ地点を求めて旅をしているとも考えられるわけで。





洞穴や森で暮らしていた大昔は天候や動物が命の危険で家や建物が生まれてからは天候や動物からは守られウイルスや災害しか命の危険は無くなったわけで。

ほとんどのウイルスも科学で対応できるし災害も頻繁には起こらなくなった我々は幸せか?と言われるとそうでもなくて。

現代に生きる我々の最大の敵はストレスだと仮定が立てられます。

飯を食って寝て起きるを繰り返せば緩やかな死を迎えられるけど生命維持機能とは全く関係のない行動をよくよく取るのが我々で。

ゴルフをして映画を見て犬を飼い服を買っては捨て筋肉を大きくするためジムに通うわけです。

哺乳類としては全く意味のない行為なわけで。

ただそれが必要な行為として捉えたとき何故そういった行動を繰り返すのか?を考えたときにすべてが意識のゼロ地点に戻す行為なのではと。

それが現代の最大の危険からの回避なのではと。

それはある種の依存とも捉えられますが依存も「命の危険から逃げるため」と考えられるわけです。

我々の身口意すべてが生きる為に最適化されていくと考えたときマウントを取ったり嘘ついたり悪口を吐いたり遅刻したり浮気や不倫やギャンブルや酒や薬もすべて精神性を守るためにやってるとも言えるわけです。

これだけ脳を肥大化させてきた我々が勝ち取ったのがストレスの認識とストレスの回避から来る狂った行動と思うと1週間しか地上に出られない蝉や一瞬しか咲かない桜みたいな風情を感じます。

蝉も桜も我々の視野に入っている時が存在価値としてるのは我々のエゴで実際は地表に埋まってる時や咲いてない時が彼らの本質なので我々も醜く汚いところが実のところ本質なのかもみたいなことも考えるわけで。

そんな醜く汚いところも愛することができたら豊かな人生が送れそうだなーなんて思ってます。





枕やマットレスに論拠を求める我々も「危険回避」として捉えると非常に愛らしく思えてくるわけです。

「ストレスを甘く見ないほうがいい」

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