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既製品と職人が作るものの違いは何なのか。

僕としては「家にTVモニター不要である」
という偏った考えを持っており
情報収集はデバイス
映像鑑賞はプロジェクター
でいいです。

施主には「TVモニターは必要だ」と
ぶった斬られたので46inchを計画に盛り込んでます。

とはいえTVモニターのデザインに不満があるのは共有できたので覆えるようにしてます。

w1600mm×h2300mmの建具を職人さんに制作して頂き
天井に埋め込んだ上吊りのレールで左右に開閉する機構にしてます。

建具がでかくて計算したら40kg程度になったので(真鍮の手すりが超重い)普通のレールじゃダメで。

LAMPさんのポルタの高重量タイプにして
アウトセットタイプしかなかったんですが
埋め込んでます。

65mmの幅の真鍮の取っ手をポーラライズ(特徴を持たせる)させたく縦目地をぶち込んでます。

目地入れないと一枚ののっぺりしたまな板みたいな印象になるのでそれは避けたくて。

面材はアイカの普通のポリ合板使ってます。

壁色のN-80に合わせて
RK-6000とかの面材にしてたと思います。

目地幅もモルタルアートの収納の建具の1枚の幅のスケールと合わせてます。

特に意味はありませんが。

レールと手摺で60万くらいでした。たしか。





なんとなくですがライフスタイルや自分の想いに敏感な方は
職人さんやクリエイターさんに対する理解度が高い気がしてます。

とても喜ばしいことですが
「既製品」と「職人さんの作るもの」の違いはどうしてうまれるのか?
もっと言うとそれを受け取る側の違いはどうして生まれるのか?を考えるのも今回のテーマでした。

手仕事に対する信仰のポイントは
・技術
・ストーリー
だと思ってます。

技術に関しては素人に分かるはずがなく
「作業してるところ見るの好き」程度で
作り手に回らないと理解できるはずもなく。

ストーリーに関しても
その人のコンテクストの理解が無いと分かるはずがなくて
職人さんたちに至ってはかなりハイコンテクストなはずで
それも作り手に回らないと理解できるはずもなく。

つまり結局は
・成りたかった姿への憧憬
・ひとつの物事に集中する姿の尊さ
・それを選ぶ私が好き
みたいな所かなと。

「子供産んだことない人に子育ての辛さは理解できない」

既製品の工場で生産されてる風景も知らないだけで
人がとんでもなく動いてて超レスポンシブルです。

工場というか企業のコンテクストや理念や仕事風景を知ると
おそらくファンになるはずで
そう考えると「たまたま知った」という状況が
既製品と手仕事に対する感じ方の違いになってくるのではと。





さらに言うと
工場で生産されてる物と
職人の手仕事で作られる物で使われる道具は
どちらも機械や設備を使うわけです。

工場ならNCマシンだったり
大きなサイズの設備
職人さん達もインパクトやサンダーは使うわけで。

既製品と手仕事の違いは
使う機械のスケールの違いなのか?
どこからどこまでが手仕事なのか?
みたいなことを考えるわけです。

結論としては
・制作プロセスのパフォーマンスの受け取り方
・受け取る側の知りたい欲求へのアプローチ
の2点が手仕事の価値だと言うことができます。

つまり「どう演出されているか」なわけで
どちらも手仕事と言うことができるのではと。

本質的な価値は100年後に思想や哲学が残っているかどうかだと思うので現時点での価値というのはすべて幻だとも思ったり。





手仕事の尊さというか民藝性というかマテリアライズというか
2010年くらい(第一次マイホームバブルの終焉)あたりから
建築業界では当たり前に交わされてた言葉で何を今更感があるわけですが
中国が世界の物流を掌握し出してから
既製品の価格の安さはエゲツないわけです。

プラットフォームとtechのアメリカ
物流の中国
伝統と倫理のヨーロッパ
精神性の日本

みたいな構図の中で最近SDGSと叫びまくってるヨーロッパの波に全力で乗りに行くであろう日本にとって
手仕事の尊さや直しながら大切に使っていくという精神性は
非常にサスティナブルだと思ってます。

やっぱりポイントは「廃棄量」
経済成長だけが生きる手段じゃないと信じたいものです。




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