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「ファミリア」第二十二話

Jim
(10)

「チク・タク! こっちよ!!」
 ケイトは叫び、チク・タクを迎えるため大通りへ飛び出した。
「あれほど言ったのに!」私は慌てて道路を引き返し、叫んだ。「ケイト! 今すぐに戻れ! チク・タクは安全だ! 彼にその予定はないんだ!」
 大通りを進む車が、大きなラッパを鳴らしながらケイトへと迫っている。正面に捉えた弟を死なせないために、ケイトは全神経をチク・タクに集中させていた。
 私は全身全霊で彼女たちを目指し、ケイトに向かって叫ぶ。
「ケイト! 早くその場所から移動しろ!」
 迫る大きなラッパの音に、白煙をあげながら滑り込んでくる大きな車。
 私の声が、彼女に届いたのか届かなかったのかわからないが、自分に残された時間が僅かだと感じたケイトは、その場に倒れ込むように体を捩り、チク・タクを車通りのない安全な場所へ向けて放り投げた。
「あんたも、人の親になればわかる」
 能力者であるヴァレリー・クーパーから始まり、私は今、彼女の孫であるケイトを目の前で失おうとしている。
「あんたも、人の親になればわかる」
 彼女は確かに私に言った。だがヴァレリー、私は人間にもなれなければ、ましてやその親になることなど到底叶わないのだ。
 しかし、君が守りたかった命を、私も今、守りたいと願っている。
 ケイトの肉体が大きな車に押し潰されて絶命する刹那に、私は彼女に向かって手を伸ばし、ケイトの魂を無理矢理肉体からもぎ取っていた。
 通常、肉体が死を迎えた後、そこから抜け出る魂を回収するのが私たちの仕事で、今回のように、肉体が死を迎える間際に魂を抜き取ることは許される行為ではない。
 それは、人間でいうところの殺人行為だからだ。
 肉体が生きている間に抜かれた魂はショック状態に陥り、そのまま放置すればやがて消滅してしまう。だが、魂が消滅する前に再び肉体に戻すことができれば、その魂は再び肉体に定着し、活動を始める。
 もちろん、ケイトの場合、肉体の傷みが激し過ぎて、そのまま戻せばやはり死を迎えることになる。だからと言って、都合良く、魂が入っていない状態の良い肉体が見付かったとしても、彼女の魂をそこに定着させることはできない。
 彼女の魂を定着させることができる肉体。それは、彼女と血の繋がった親近者のみ。ヴァレリーに助けを求められ、私が口を滑らせた禁じ手だった。
 私はケイトの魂を抱えてチク・タクの元へ駆け寄り彼に言う。
「チク・タク。あまり時間がない、お前はケイトや私の気配を追って来い」
 彼には私の声は聞こえないし、私の姿も見えない。しかし、私の気配や、ケイトの気配は感じられると考え、私たちの気配を彼に覚えさせた。
 チク・タクは私たちの周りを不安そうにグルグルと回る。目の前で感じるケイトの気配と、車の下敷きになり動かなくなったケイトの匂いに混乱するのか、切なそうに鼻を鳴らした。
「チク・タク! わかったな? 私たちの気配を追うんだ」
 そう言って彼から少し離れると、チク・タクはケイトの匂いを気にしながらも、目では見えないケイトの気配を追った。
 たとえ、目の前に動かなくなったケイトの肉体が横たわっていても、その気配を感じるなら、彼は最後まで希望を捨てないだろうと私は確信していた。
 言葉はなくても、目には見えなくても、それがどれほど絶望的な状況でも、彼等は強力な何かによって繋がっている。
 チク・タクの様子を見て安心した私は、一気に空へ浮かび上がり、ケイトの母親の眠る病院へと飛んだ。自分たちの気配を、チク・タクへと向けながら。
 病院の中、ケイトの母親が眠るICUに降り立った私は、ケイトを抱えたまま、母親のジェシーの意識へと潜り込む。未だ深い眠りの中で意識を保つ彼女の頭の中では、ケイトが生まれてからこれまでの思い出が走馬灯のように溢れ出している。
 ケイトの成長記録とも言うべきジェシーの思い出の中のケイトは、良く笑い、良く泣き、そして良く観察し、良く話す純真なままの姿だ。
 しかしジェシーは、いつも心のどこかでケイトを守りきれなかった悔しさと、彼女に対する申し訳なさを秘め続けていた。
 私はその彼女の精神世界のさらに奥深くに降り立ち、そこでジェシーの名前を呼んだ。
「ジェシー! 出てきてほしい! 君の力を借りたい!」
 私が叫ぶよりも早く、ジェシーは既に姿を現し、私が抱えるケイトの魂を見て困惑した表情を浮かべながら言った。
「あなたは? それに、そこにいるのはケイト⁉」
 ジェシーは慌ててケイトの魂に駆け寄り、心配そうに彼女の名前を呼んだ。
「ケイト⁉ ケイト!」
「ジェシー。突然で申し訳ないが、我々はあまり時間に余裕がないんだ……」
「これは一体どういうことなの⁉ ケイトはどうして目を覚まさないの⁉」
 状況が理解できないのも無理はない。ジェシーは錯乱気味に叫びながらも、頻りにケイトのことを気にしていた。
 私は順を追い、手短に説明していく。死の使いである私と、能力者であったジェシーの母親、ヴァレリーとの出会い。そしてケイトとの出会いと、彼女の肉体の死。
 私がケイトの肉体の死の説明をしたとき、彼女は異常なまでに体を震わせて泣き崩れた。
「ケイト! 本当にごめんなさい! 結局私は、あなたのことを守ってあげられなかった! あなたを傷つけるだけで、一生を終わらせてしまった!」
 そう泣き叫んだ後、彼女はケイトの魂を抱き寄せ、私に向かって言った。
「私に力を貸せと言ったでしょ? あなたは一体何をしようというの?」
 涙で顔をグシャグシャにしながら、彼女は私に訊ねる。
「君の体に、ケイトの魂を定着させたいんだ」
 不安な表情を浮かべながら、ジェシーは私の視線を逸らすことなく、私の次の言葉を待っている。
「しかしこの場合、君の肉体をケイトのために明け渡さなくてはならない。魂が一つの肉体に混在すると、人格崩壊の恐れがあるからだ」
 私が話を進めると、彼女の表情は突然晴れやかになり、私に向かって話し出した。
「それはつまり、ケイトを死なせずに済むってこと⁉ 私が体を明け渡せば、この子はまだ生きられるのね⁉」
 興奮して詰め寄るジェシーに、私はもう一度念を押す。
「確かに、ケイトは君の肉体で生き続けることができる。しかし、ケイトの代わりに君が死ぬということなんだ」
「もちろんよ。この子を死なせずに済むのなら、私はこの命を喜んで差し出すわ!」
 娘の死に泣き崩れて叫んでいた彼女が、嘘のように喜びで体を震わせて言った。
「本当に済まない。本来なら、こんなことを君に頼む資格など私にはないんだ」
 私が謝罪すると、ジェシーは微笑みながら首を振った。
「謝る必要などどこにもないわ! むしろ感謝しているのよ? あなたがケイトに出会っていなければ、こんな奇跡は起こせないんだもの! もっと言えば、私のお母さんがあなたに出会っていなければ、この奇跡には辿り着かなかったわ!」
 ヴァレリーといい、ケイトといい、そしてこのジェシーといい、彼女たちを突き動かす『愛』の力には、本当に驚かされる。
 体を明け渡す彼女は、自分がこれからどうなるか理解した上で、私に感謝し、娘の命を救える歓喜に浸っている。
「さぁ! 早く初めてちょうだい! 時間がないと言っていたでしょう?」
 ケイトの魂を抱きしめながら、嬉しそうに急かす彼女に、私は訊ねた。
「最後に一つ聞いておきたい。君たち家族を突き動かすこの『愛』とは一体なんだ?」
 私の問い掛けに、ジェシーは少し間を置いて答えた。
「わからないわ。でも、理由など要らないと思うの。だって家族なんだから」
 そう答えた彼女は、さらに私の目をまっすぐにしっかりと見つめ、私の心の奥にまでも届くように、話を続けた。
「家族って、血で繋がるものじゃなく、心で繋がるものだと私は思うわ。だからきっと、あなたはその疑問の答えをどこかに持ってるはずよ。ケイトを救いたいと心から願い、行動したあなたは、既に私たちの家族の一員なんだから」
 彼女の言葉を聞き、私の胸は熱く、締め付けられるように苦しい。でもその苦しさは決して嫌なものではなく、大きな充足感を私に与えるものだった。そしてなにより私は、この家族から多くを気付かされ、そして多くを学んだ気がする。
「目を閉じて。今から君の肉体にケイトを定着させ、君の魂を直ちに冥界へと送る」
 ジェシーは静かに目を閉じると、ケイトの魂を優しく撫でながら呟いた。
「ケイト。あなたに贈る私からの最後のプレゼントよ。私のお古で悪いんだけど、あなたのことをどうしても死なせたくなかったの。私のお母さんが、命を懸けて私を生かしてくれたように、私も、あなたの母親としてあなた守りたいのよ。マギーとチク・タクを頼んだわよ? 愛してるわ、ケイト。誰よりも、他の誰よりも……」
 私が手をかざし念じると、ケイトの魂は光に包まれ、そして母親の肉体へと融合していった。
 ジェシーの魂は、ケイトの魂が肉体へと融合すると同時に、私と共に、彼女の肉体の外へと放り出された。
 ベッドに横たわるケイトの側に立ち、愛しそうな目で優しく微笑みながらジェシーは呟く。
「なんだか変な気分ね。自分を見てるのに、この中身が娘のケイトだなんて」
 そう話しながら彼女はケイトの頬をそっとなぞるように指を滑らせると、振り返ることなく私に訊ねる。
「ケイトは……上手くやっていけるかしら?」
 そう話すジェシーに私は言った。
「ケイトは一人じゃない、なによりも強い心で繋がる家族が、彼女を支えてくれるさ」
 そう話した私は、ジェシーの魂を連れ、冥界へと送り届けた。

 天国と地獄の総合窓口。

 人間らしく説明するなら、冥界とはそんな場所だ。ここで魂たちは、その先に進む進路が決定されるが、私たちですら、ここから先へは行ったことがない。
 見た目は人間の世界となんら変わらないこの場所には、昼も夜もあり、晴れも雨もある。冥界に到着すると、真っ白な石造りの大きな建物が見え、その建物の中で、人間の魂たちはその先の進路を決定される。
 建物内部のレイアウトはその時代の局長の一存で好きに施すことになっている。つまりは我々のボスにあたる人物の趣味に偏るのだが、私は先代の局長の趣味はとても好きだった。
 大理石の床に、建物の内部のあちこちには、彫刻や絵画がちりばめられ、まるで荘厳な美術館といった様相だ。建物上部の窓は全面ステンドグラスに変えられ、窓から光が差しこむと、ステンドグラスを抜けて大理石の床へ目掛けて光が滲む。
 時折微かに聞こえてくるオルガンの心地好い音色に耳を傾ければ、ここを訪れる者の心を掴んで、この先へ進むことを躊躇わせるほど美しい。
 しかし、現在の局長にはその芸術的な感性はなく、私が好きだった大理石の床は、安っぽい白と黒のオセロボードのようなタイルに変えられ、建物内部の芸術品たちは、品性のかけらもないポスターや、カラフルな電工ネオン、それに何をどう楽しむのかもわからないようなガラクタが、あちこちに飾られている。
 ステンドグラスだった建物上部の窓は、なんの変哲もない普通の窓。微かに聞こえた美しいオルガンの音色は、今や耳を澄ませても聞こえず、建物内に置かれた大きなジュークボックスが、ここを訪れる者の好みで、やかましい音を奏でる毎日だ。
 建物の脇に新たに付け加えられた、長いカウンターからは、ここを訪れる魂たちに飲み物やつまみが用意され、まるで人間の若い男女が集まるようなバーと化していた。
「ここが冥界? イメージしてたのと全く違って、凄く人間臭いのね」
 驚いたように言葉を漏らすジェシーに、私は誤魔化すように、一言だけ説明した。
「あぁ、今や冥界も世紀末なんだ」
 私たちは建物を進み、彼女を大広間にある椅子へと座らせた。
「ここで待ってろ。直にケイトの名前で君が呼ばれる。そうしたら君は立ち上がり、審査官の待つ部屋で質問されるんだ。いずれ、本人ではないと知られるが、君に落ち度はない。そして進むべき道が開けるはずだ」
「ジム! 良いかしら?」
 背後から声が響く。振り返ると、そこには明らかに不満そうな表情をしたアニーと、数人の戦士たちが立っていた。
 私の袖をジェシーの手が掴み、不安そうにしている。
「心配しなくて良い。それじゃ、元気で」
 私はジェシーに別れを告げると、アニーたちに連れられて、局長室へと連行されていった。

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