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「LoOp」第五話

第三章 オオシマザクラ

卯月未依(1)

 始めてデザインに興味を持ったのは高校の学園祭でやった『リゾートを演出したカフェ』だった。カフェの空間全体と、配置する小物や衣装、教室でかけるBGMやメニューなんかにもトータルでこだわって、クラスのみんなと一丸になって作り上げた。学園祭であることを忘れてずっと続けて行きたいと思えるほど出来がよくて先生たちにも褒められた。
 高校を卒業したあとは、両親の反対をおして地元の専門学校で学び、東京のデザイン事務所の採用通知を勝ち得た。それが二年前のことだ。今は朔良と共に上京しデザイナーの卵として働いている。
 山梨の田舎にある学校に貼られる人材募集の掲示は、静岡や浜松あたりの小さな広告代理店や印刷会社によるものが多くて、東京や横浜の大手事務所ばかりを候補に挙げていたあたしは周りから冷めた目で見られていた。表向きは、すごい、未依なら絶対やれるよと応援してくれてはいたけど、どことなく他人事で、現実感のない夢を褒められているようで、バカにされているとまでは言えなかったけれど声援は揶揄にしか聞こえなかった。
 でもあたしには絶対に叶えなくちゃならない夢があったからこそ頑張れた。友達の反応になにくそっとムキになっていたわけじゃない。面接のための交通費だってバカにならなかったけどバイトだって頑張れた。すべて朔良のおかげだ。

 朔良とは小学校から高校までずっと寄り添うように過ごした。隣の家に住む老夫婦の元に突然やって来た頃の当時の彼は拗ねた表情でいつもびくびくとして、人間に怯える野良猫みたいに近づくだけで慌てて逃げ出すような子供だった。
 当時、近所では様々な噂が飛び交った。まだ幼かったあたしにはよくわからなかったけれど、たしか彼のお父さんが奥さんを殺して警察に捕まったとかなんとか。
 とにかく田舎では、些細な憶測に尾ひれがつきありえない話になる。だからあたしは噂話なんて信じないことにしている。つまらない世間話から生まれる先入観は、真実を歪めてしまうことだってあるから。

 中学の頃に音楽に目覚めた朔良は友達同士でバンドを組んだ。それはガチャガチャとうるさい音楽であたしの趣味じゃなかったけれど、彼が何かに一心に打ち込んでいる姿があたしはとても好きだった。
 家も隣同士で、いつも一緒にいたあたしたちはまるで兄妹のように育ち、やがていつの間にかその関係は自然に恋人へと発展していった。
 どこまで買いに行っていたのかはよくわからないけど、学校の休みとあたしと会えない日が重なると、朔良は自転車で遠出をして服をいっぱい買いこんでいた。ヴィンテージ物のスカジャンや、デッドストックのミリタリーシューズにチューリップハット。それらは、いまでこそ名称がわかる小物たちだけれど、当時は見たこともない派手で突出した個性のものばかりで周囲からは浮きまくっていた。
 何度か一緒について行きたいと頼んでみたことがあるけれど、いつもあたしにべったりだったくせにそれだけはガンとして首を縦に振らず、未依にはああいう店は似合わないからつれていきたくないと言った。喧嘩して唇や目の端を切って帰ってくることも多かった。
 朔良はときどき秘密主義になる。でも大概において彼が内緒で出かけるときはあたしを喜ばせるためだったから、そういうときは黙って行かせた。鎮痛剤を買い込んで帰って来た時は手首にあたしの名前が墨で彫られていた。夜遅くに神代桜に呼び出されてまだ血が滲んでラップが貼り付けられた腕を見せられたあたしは、喜びで胸が張り裂けそうになって涙で桜が見えなくなった。

 買ってきてくれるお土産の服やカバンはシンプルで清楚なものばかりで、彼の隣に立つとその差が激しく、あたしは友達から『よくあんなのと付き合えるわね』なんて言われてたけれど、みんなは本当の彼を知らない。朔良は人間に怯えるただの寂しがり屋の小猫ちゃんだってことを。

 そんな朔良だからこそ、あたしの就職と上京が決まると、誘ってもいないのにさっそく身支度を始め、親しい友人に別れの挨拶と餞別を渡し歩いていたのがとてもかわいらしかった。
 入社して一年はとにかく仕事を覚え、先輩たちについていくのがやっとだった。
 気がつくとあっという間に時間は過ぎて、二年目になると細かな雑用やちょっとしたデザインなどを任せてもらえるようになっていた。忙しくもやり甲斐ある仕事に没頭し、自分の誕生日すら忘れていた。
 木曜日に仕事から帰ると、ソワソワとした彼があたしを待っていた。何か言いたげなそぶりで近づいてくると、薄い緑の包装紙で綺麗に包まれた小さな箱を差し出す。
 和紙でできた包装紙の左上には月桂樹の葉で輪を形作られたシールが張ってあり、輪の真ん中の空白には黒のかすんだスタンプで『LoOp』と印字されていた。
 包装紙を開けると、ブラウンの厚紙で作られた、アンティークな雰囲気の正方形の箱が出てくる。
 その箱はジュエリーボックスになっていた。蓋をゆっくり上に押し上げると箱が開き、黒のベロアのクッションの中心にシルバーのリングが置かれている。
 メビウスの輪をモチーフに作られたシンプルなデザインで、とてもセンスが良かった。そう言えば今日はあたしの誕生日だった。
「どうしたの!? すごくセンスの良いリング! ありがとう、高かったでしょう?」
「まぁな、バイト代がほぼ飛んでったよ。でもおまえの喜ぶ顔が見たかったからさ」
 そう彼が言ったとき、あたしは嬉しさ半分で少し寂しい気持ちになっていた。
 上京して二年、彼は定職に就くこともなくアルバイトを転々としていた。稼いだバイト代は自分の服やらレコード、果てはギャンブルなどにすべて使い込んだ。
 当然収入を家に入れることもなく、家賃も食費も光熱費もすべてあたしの財布から出ている。
 せっかく買ってきてくれたんだ。あたしは彼の気持ちを損なわないように気を配りながら、「本当にありがとう、大事にするね」と答えた。
 上手く隠したあたしの気持ちに気づいていない朔良は、嬉しそうにリングを買ったお店の話を始めた。
 彼の話す雑貨屋『LoOp』の評価は酷かったが、彼は自分もいつか、ライブハウスを兼ねた喫茶店かBARをやってみたいと言い出したのだ。
 もしかしたら、またあの頃みたいに何かに打ち込む彼の姿が見れるかも! しかも、それが仕事となり生活の基盤となるのなら、これほど嬉しいことなんてない!
 あたしは彼が思い描いた夢に大賛成をした。
 朔良がその夢を実現するなら、あたしもそれまでに独立して、彼のライブハウスの二階にでもデザイン事務所を構えれば、ずっと二人三脚で理想の生活を送っていける! 
 あたしは彼の夢の裾野を、限りなく広げるようにして自分の想いを重ねた。
 朔良の夢の実現が、あたし自身の夢の実現になる。今は妄想めいていたって構わない。実現させてみせる。考えはどんどん広がっていく。
 あたしの心は抑えがきかないほど膨れ上がり、居ても立っても居られない気分になって、さっそく今度の日曜日に雑貨屋を見に行ってみようと心に決めていた。

 勤め先の職場は日曜日が休みだった。
 それほど大きくはないデザイン会社だったが、取引先は個人事務所や出版関係など多岐に渡っていて、土曜日は打ち合わせに出勤となることも多く、決まった休みは日曜だけだった。
 代わりに、平日にランダムな休みが月二回割り当てられていたが、取らないままに流れてしまうこともよくある。
 仕事の疲れで休みの日に目を覚ますのは、だいたい昼頃。その日も目を覚ますと、朔良は既にバイトに出かけた後で、部屋にはあたし一人だけだった。
 支度したあたしは、リングに同梱されていた店のカードを持って雑貨屋を目指す。
 裏に印刷された地図を見ながら路地裏を行く。
『LoOp』のロゴといい、裏の地図といい、とてもセンスがいい。リングの包装と同じく、やはりこれにも和紙が使われている。
 グランジ表現にも色々あるけど、柔らかい木炭でかすれさせたようなこの全体の雰囲気の良さは、デザイナーの感性にかかっている。
 デザイン会社に勤めてわかったことだが、技術でできるデザインは多くても、結局最後はこういう感覚的なさじ加減が決め手になるってことをあたしはよく知っていた。
 DTPは特に難しい。パソコンの画面の中でどんなにそのデザインが素敵に映っていても、出力先素材としてグロス系を使うか、ダルマット紙を使うかだけで雰囲気は嘘みたいに変わってくる。幾度となくそれで失敗した。
 一体どんなお店だろう、どこのデザイン会社がこれを作ったんだろうか。それにしてももう二年も住んでいるのに、こんな所に店があったなんて知らなかった。
 あたしはその見ぬデザイナーに半ば渇望にも似た羨望を感じながら路をたどった。

 自宅から二十分ほど歩く距離にひっそりと佇む雑貨屋『LoOp』は、主張こそしないものの、そのこだわって設計されたであろう店構えが存在感を際立たせていた。
 無機質なコンクリートで仕上げられた建物に無垢材の板が打ちつけられ、コンクリートと木のストライプ柄を浮かび上がらせている。
 建物の脇には屋根に届きそうな大きな木が植えられ、さらにその脇を背の引い常緑樹で固めて、緑の外壁のような演出がなされていた。店の前にはイーゼルに立て掛けられた黒板に、緑のペンキで直接描かれた『Welcome!』の文字。
 一番大きな木には、花弁のたくさんある大輪の八重咲きの黄色い花がついていた。もう散りかけているが、イーゼルの周りにそれが自然に散って色合いをときめかせている。
 店内もまた見事だった。コンクリートの無骨な壁に薄い緑のペンキを塗り、正方形に模られた薄い木の板を壁一面に散らばるように貼りつけてある。さわやかな森の中に、枯葉がかわいらしく舞っているようだ。
 天井からはシーリングファンが吊り下げられゆっくり大きく回っていた。天井に近い壁面には大きな窓があり、照明に頼らずとも自然の光が店内を照らしている。ディスプレイ棚もアンティーク風に手作りされ、かすれた白いペンキが良い雰囲気を醸し出していた。
 店内奥のレジ横には深い焦げ茶色の木製カウンター、どうやらここが喫茶スペースのようだ。至るところに観葉植物が置かれている。
 店全体の雰囲気は落ち着いたイメージだが、シンプルと表現するには空間と商品の演出が計算され尽くされており、そのセンスの良さを既存の言葉で表現するのはあまりにも難しい。
 店内に流れるボサノヴァのBGMもさらに居心地を良くさせる。
 確かにこれじゃ朔良の趣味じゃないな、そう思いながら奥を目指すと、茶色いカウンター越しに、男性スタッフが「いらっしゃいませ」と挨拶をしてくれた。
「珈琲をお願いします。素敵なお店ですね」
 あたしが腰掛けると、そのスタッフは嬉しそうにお礼を言って、手際よく珈琲を淹れながら、優しい笑顔を向ける。
「来られるのは初めてですか?」
「彼が三日ほど前にここで指輪を買ってくれたんです。今日はその指輪のサイズ直しをお願いできないかと思って」
 あたしが指輪を差し出すと、スタッフは思い出したような表情をした。
「ああ! あのときの」
「覚えてるんですか?」
「店のアクセサリーはすべて僕の手作りなんです。特にこの指輪は自信作だったので」
 スタッフだと思っていた人物は、店のオーナーだった。さほど歳も離れていなさそうな彼の風貌に内心驚く。
「ただと優しい笑顔を向ける。ごめんなさい、シルバー加工用のバーナーのヘッドが壊れてしまって、サイズ直しに時間が掛かってしまうんですが、よろしいですか?」
 あたしが承諾すると彼は名刺を出し、サイズが直り次第、この名刺の番号から電話をすると言ってくれた。
 名刺には波柴明周とあった。
 紙は店のカードとは違う素材で、すっきりとさわやかな緑を基調にしてある。
 オーナーの名前は主張しすぎることなく『LoOp』という文字の周りにさりげなく添えられた控えめなデザインで、これもまた素敵だ。
 あたしはなんだか会社の名刺を出すのに気が引けて、自分の電話番号と名前をそこにあった紙ナプキンに直接手書きして渡した。
「デザインがほんとに全部素敵なんですね。私、一応デザイン関係の仕事していて」
「ええ? それはすごいな! 僕は頼むお金もなくって全部自分でやったんですよ。恥ずかしい限りです。プロから見たら相当に粗が目立つでしょうね」
「そんなっ、ますますすごいです。どこのデザイナーが請け負ったんだろうって思ってました……。あの、お店の名前の由来はなんですか?」
 あたしが店の名前の由来を訊ねると、彼は照れ臭そうに笑いながら答えた。
「この店に来てくれたお客さんがお店を気に入って、いつまでも足を運んでくれるようにとの想いを込めて付けたんです」
 はにかんだ目じりに皺が寄って、凛とした視線が空間に和む。
「この『LoOp』のOが大きくなってるのはどうしてですか?」
「ああ、ループって繰り返すって意味ですけど、その中でもこう、ちょっとずつ広がっていってほしいなとも思いまして。ほら、波紋が広がるみたいにね」
「すごく素敵ですね」
 朔良とそれほど歳も変わらなさそうなこのオーナーには、やりたいビジョンがはっきりと見えている。その差をすごく大きく感じてあたしは羨ましくなった。
「私の彼がいつかライブハウスを兼ねた喫茶店のようなお店を開きたいっていうんですが、やはりお店を構えるのって大変ですか?」
「そうですね、でも好きだからこそやれる仕事でもありますよ。無料でやってる起業セミナーなんかに出て、明確なビジョンと自信さえつかめれば後は行動するだけです」
 起業セミナー! あたしはとても良い情報を得た気がして、一刻も早く帰って調べたくなった。
 オーナーにお礼を言うと足早に店を出る。いつの間にか辺りは真っ暗、随分と話し込んでしまった。
 浮かれて焦る足取りを抑えながら帰宅すると、朔良はいつものようにビールを片手にテレビを見ている。
「おかえり、休みの日に出かけるなんて珍しいな?」
「うん、ちょっとね」
 あたしはパソコンを開くと、無料で開催されているセミナー情報を調べた。
 朔良は確か、今度の火曜日が休みのはず。その日に実施される起業セミナーを突き止めると、さっそく朔良に伝えた。
「そっか、行ってみるよ」
「ほんとに!?」
 思わず朔良に抱きついた。
 加速度的にあたしたちの夢が実現に向けて進み始める。
「後にしろよ」
 と朔良は面倒くさがったけれど、あたしはとても嬉しかった。


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