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障害とコミュニティ

くも膜下出血の発症から一年半8ヶ月。
病気になる前に入っていたコミュニティとはほぼ繋がりがない状態となってしまいました。

リハビリと通院で過ぎていく毎日。
趣味の場に向かう夫を笑顔で送り出すことが辛い日もあり、自分の居場所があればと焦るものの見つからず落ち込むことも多いです。

障害を負ったあと入っていたコミュニティからなぜ離れてしまったのか、新しいコミュニティをどうして見つけられないのか考えてみました。



コミュニティを離れた原因

病気になる前は幾つかのコミュニティに所属していました。しかし、くも膜下出血の後遺症がネックとなり続けられなくなりました。

暇さえあればやっていた刺繍は左手の巧緻運動障害と高次脳機能障害どちらの影響もありできません。
うまく左手が使えない、図案を記憶していられない・根気が続かない。
それらの障害が原因で作品を作れなくなりました。そのため教室やオンラインで繋がっていた人からも自然に遠ざかってしまいました。

生き甲斐だった音訳ボランティアはマルチタスクが要求されるため録音することが難しくなりました。
他の人が読んだものをチェックするだけなら何とか出来なくもないのですが、自分が読めないことに苛立ったり、後から入った人に抜かれてしまうことにストレスを感じるようになりました。

心理学を本格的に勉強したくて入ったカウンセリング講座。こちらもくも膜下出血で中断。高次脳機能障害により勉強を続けることが難しく退会しました。

コロナ禍に入ったオンラインコミュニティのメンバーは入院中も励ましてくれ、退院後の復帰を喜んでくれました。
高次脳機能障害と判定を受けた際も、メンバーの方々に分かって頂きたくブログでカミングアウトし応援をお願いしました。
大半の方は温かく受け入れてくれましたが、"不幸自慢"や"悲劇のヒロインぶって"という批判の声も耳に入りました。
また「脳に障害を負った人の前例がないので他の会員の方が不安に思うのでは」という主催者の言葉もあって退会することにしました。

友人たちとの距離

友人たちとも次第に距離を置くようになりました。

「高次脳機能障害で記憶が‥」
なんて話すと
「私も同じよ、歳だからみんな」
と言われることがほとんどです。

皆と同程度であれば「障害とは言わないのに‥」理解されないことが辛くてあまり会わないようになりました。

「障害が辛くてなかなか一歩を踏み出せない」
なんて話すと
「雨が降っていても雲の上にはお日様があるよ」
「辛いことの数だけいいことがあるから」
そんな励ますつもりの言葉をかけられます。

以前にも書きましたが、善意から出た言葉ほど実は辛かったりします。
"今は辛くても明るい未来があるんだ"
なんてことは自分で感じてこそ意味があることと思います。

「辛い」「歩き出せない」
その気持ちに寄り添っては貰えず、逆に励ますつもりの言葉に傷つくのでそういう人たちからも離れるようになりました。

また、自分の嫉妬心が原因で会えなくなった友人もいます。
私の半年後にくも膜下出血を起こした友人は全く後遺症がなく退院しました。工芸作家の彼女は病気後も変わらず活躍をしています。

展示会で近くに来た時には連絡をとり食事をしたりしていました。しかし、同じ疾患だったのに全く後遺症がなく、病気前と変わらぬ生活を送る彼女の話を聞くことが辛く妬ましくなるので距離を置くようになりました。

理由は色々

作品作りそのものが出来ないなどの物理的理由でコミュニティを離れたり、できる人の話を聞いたり作品自体を見ることが辛かったりという精神的理由でコミュニティを離れたりと理由は色々です。
でも自分としては精神的な要因が元でコミュニティをやめてしまうことの方が多い気がします。

友人関係においては、私には無神経と感じられる言葉や、善意から発せられる言葉に苦しみ距離を置くことが多いです。
どちらの言葉も辛いですが、善意から発せられる言葉は
「善意を善意として受け止められない」
自分の心の狭さも感じてしまうため余計に辛い気がします。

新しいコミュニティに入れない訳

退院後新しいコミュニティを探しましたがなかなか条件が整わないところがあります。

ジムに通っていた時、フラダンスでもと思い講師の方に相談すると
「麻痺のためにも良い思うのでやれる範囲でぜひご一緒に」
と言って頂けました。けれども他の会員の方に
「踊れないなら隅っこに行ってて」
と言われ、体験の時点で諦めてしまいました。

コーチングをされている方が多いコミュニティならば受け入れてもらえるのでは?と思いましたが、
「自分ができることになかなか目を向けられない」と話すと
「脳の障害ならばこれからの高齢化社会、認知症のお年寄りの気持ちが理解できてニーズがあるのではないかと思いますよ」
そんな風に言われました。

記憶障害はあるけれど認知症とはまた違う。説明をしても高次脳機能障害を理解してもらうことは難しいのだなと実感しました。
そして理解を求める気力もなく、こちらも早々に諦めました。

当事者会ならば大丈夫かなと思いましたが、見学したところは受傷歴が長い方が多かったためか
「出来ることに目を向けないとダメだよ!」
などと強く励まされ、
まだまだそんな状況では無い私には参加することが早かったのかと感じました。

カフェでの写経にも行ってみましたが周囲の騒がしさに疲れてしまい文字を書くことができなかったりと環境が整わないこともあります。

また施設に行くのに徒歩で片道25分かかるなど身体的理由で通えない所もありました。

身体、高次脳機能障害、共に対応できそうなコミュニティを探すことが難しいと感じています。

外に出るのが怖い

年甲斐もなくと言われそうですが元々フリルや花柄の可愛い服が好きです。リハビリの際はズボンで行かなければならないのが残念ですが、トップスだけでもと可愛いものを着用しています。

そんな服装で電車に乗っていたらヘルプマークを指さし
「そんなもんつけてんのにチャラチャラした格好するな」
見ず知らずの人に言われました。

1人しか通れない地下道の階段をゆっくり降りていたら
「さっさと降りろよババア」
中高生くらいの男の子に言われたこともあります。

優先席に座っていたら、サラリーマン風の2人組に
「仕事行ってる俺らが立っててこういうのが座ってんだよな」
聞こえよがしに言われたこともあります。

速く階段降りられるものなら降りたいし、ヘルプマークをつけててもどんな格好しててもいいじゃない、そう思います。

私は無職だけれどヘルプマークつけていても働いてる人は沢山いるし、扶養者の夫はちゃんと納税しているし、サラリーマン風の人にあんなこと言われる覚えは無い、そう思います。

でも、正論はそうなんだけれど、障害があるという引け目からか落ち込みます。気にしなければいいと言われても気になります。

何としても行きたい所、居場所がある訳ではないので、家に籠っていたら傷つかずに済むのかなそう思う日もあります。

身体ではなく心が

当事者で理学療法士の小林純也さんがイベントで
「外に出られる運動能力があっても4割の人が閉じこもってしまう」
こんなことを話されていました。

自分はまさしくそうだなと思いました
歩行に杖もいりません。歩くと痛みが出ることはありますが、むしろ外で受ける心の痛みの方が辛いです。

外見から分からない痺れや痛みといった身体の障害、そして高次脳機能障害。理解されにくいものに外出を阻まれてしまいます。

先日精神科の先生から言われたように、そんなことに負けず前を向いて生きている人も多いと思います。

実際にそういう方から
「そんなこと言っている暇に行動したら」
そう言われたこともあります。

でも、自分にはまだ無理だなと思います。そんなことを言っていたらいつまで経っても居場所なんて見つからないだろう。そういう意見もあるかと思います。

でも向かう途中で何か言われても
「やりたい」「行きたい」
そんな事や場所が見つかるまで待ってみようと思います。

「病気の前にいたコミュニティをみんな失ってしまったんです」
そんなことを担当理学療法士さんに呟いたことがあります。そうしたら
「新しい所が見つかるまで自分をコミュニティと思ってくれたらいいですよ」
そう言ってくれました。

とても嬉しかったです。
今の私にとってはリハビリの場は一番居心地が良いところです。後遺症を持つ自分を受け止め、次のステップに向かえるよう調整し後押ししてくれる場です。

先生と2人の場ですが
"ここをコミュニティと思っていい"
その発想に驚かされました。
そして次のステップに進めるまで甘えさせてもらおうと思いました。

いつも私の意思を決断を後押ししてくれます。
その結果起こる身体の痛みにも、時には心の痛みにも対応してくれます。
そんな素晴らしいコミュニティがあるのだから、ゆっくりかもしれませんがいつか何かを探し出せるのではないかと思っています。