見出し画像

悔しさから得たこと

病院で起こった出来事。
診察室を出たとたん悔し涙が出たのは感情失禁のせいばかりではないと思う。

なぜこんなにも悔しいのか、この思いを悔しさで終わらせていいのか?
気持ちを整理させるために書いてみようと思います。

後遺症を持っての生活

病気で後遺症を持ち精神的に追い詰められてしまう人は多いと思います。

脳卒中後20〜40%の患者がうつ病を発症しているという情報を見たこともあります。

鬱状態ではなかったと思いますが、私もかなり精神的に追い詰められていた時期がありました。

高次脳機能障害や麻痺により、生きがいだったボランティアも趣味もできなくなり、所属していたコミュニティからも「脳の後遺症を持つ人の前例がないので会員が不安に思うのではないか心配だ」と主催者から言われ、退会を示唆された気がしてコミュニティを離れました。

思うように動かない身体と頭。家族に負担をかけることの申し訳なさ。何とも言えない孤独感。

"どうしてあの時助かってしまったのか"
そんな思いが毎日頭の中をぐるぐる回りました。

特に私の場合は自ら救急車を手配した経緯があり
"救急車を呼ばなければそのまま死ねたのに"
後悔の日々を過ごしました。

そんな中で色々なことがありつながった大学病院の精神科でした。

睡眠が必要と軽い睡眠薬と漢方薬を処方され
「うちは薬をなるべく使わない治療を心がけています」
そういわれ、月に一度の通院となりました。

通院する中で

薬中心ではない治療と言われたけれど、実際に診察室に入って感じる違和感は通うたび強くなりました。

睡眠や食事の状態とともに判で押したように
「この1ヶ月で楽しんだことは何ですか?打ち込んだことは何ですか?」
と聞かれます。

いっとき"楽しい"と感じることはあっても
「これをやったら嫌なことを忘れられる」
「ストレス発散になる」
そんなことはなかなか見つかりませんでした。

すると
「映画やお芝居はどうですか?コンサートなんかもいいですよ」
「睡眠のためにもスポーツをやりましょう」
そんなことばかり勧められました。

その度に
「高次脳機能障害で音や光に弱いので映画などは無理です」
「スポーツも散歩程度が限度で、激しい運動をすると身体に痛みが出て無理です」
そう伝えていましたが、毎回同じような会話が繰り返されるばかりでした。

「あの時助からなければ良かったと思うことがある」
そう伝えると
「そんなことを思うんですか?」
と驚かれ、後遺症を持つ人のことをどれだけ理解しているのだろうかと不安に思うようになりました。

そんな中、自分でも現状を打破したいと考えていたので
「どこかで認知行動療法を受けたいと思っていますがどうでしょうか?」
と相談してみると
「うちでも認知行動療法をやっています。実際この診察も認知行動療法ですので」
そう言われました。

月に1度、10分あるかないかの診察のこれが認知行動療法なの?そんな疑問というか疑念を持つようになりました。

ちょうどその頃、他の方から病院にいるカウンセラーが高次脳機能障害に詳しい方だという情報を得ました。なので先生にカウンセリングを受けたいと申し出ました。

高次脳機能障害で悩んでいることを知っていたのだから、むしろ先生の方から提案して欲しかったと思いつつもカウンセリングに繋がれたことはラッキーでした。

カウンセリングを受けて

やっと高次脳機能障害のことを理解してくれる人とつながれた。カウンセラーの方に会ってほっとしました。

長い時間を取ってもらえる訳ではありませんでしたが、日々の生活の中での辛いことを聞き、理解を示してもらえることはとてもありがたいことでした。

遠くの病院へ1人で通院していることを話すと、
「高次脳機能障害者にとってはそれだけで3日寝込んでもいい位の活動だね」
なんて言って貰えることが嬉しかったのです。

この頃には睡眠薬を飲まなくても寝付くことが出来るようになり、薬は漢方薬だけになっていました。そのため診察は月に1度から2ヶ月に1度ほどになりました。

診察室で

今回診察を受けるにあたって実は悩んでいました。
予約は入っていましたが、漢方薬さえ飲むことがなく薬はいらない状態です。
診察はストレスだけれど受診しなければカウンセリングは受けられないシステム。

両方を天秤にかけ、今回を最後に診察を終わりにしようと考えて病院に向かいました。

診察室で痙攣発作と意識障害で先日他院に救急搬送され入院したことを伝えました。
「3泊4日の入院なら大したことは無いですね」
とあっさり言われました。

それからいつも通り
「前回から何か楽しいことはありましたか?打ち込めることはありましたか?」と聞かれたので
何か見つけたいと思ってはいるけれどまだ見つからないと答えました。

「死にたいと思うことはありますか」
と聞かれたので
「積極的に死にたいと思うことはないけれど、生きることに疲れたと思うことはあります」
正直な気持ちを伝えました。

そしてどんな時に思うのか聞かれたので
街で心無い言葉をぶつけられたり、友人からの配慮のない言葉に傷ついたときに"しんどいな"と思いますと答えました。

すると
「私も何人も高次脳機能障害の方を診ていますけれど、皆さんもっと前向きですし、障害者枠で働いてる方もいますよ」
と言われました。

不思議なことにこの時は怒りの気持ちは湧きませんでした。それよりも「悔しい」そう思いました。

先生の言葉に
「なぜ人と比べられているのか、なぜ前向きじゃないと思われたのか。頑張ってるつもりなのにどうしてそのことは伝わらないのか」
ただただ悔しさでいっぱいになりました。

「次回の予約はどうしますか」
と聞かれたので
「薬も飲んでいないので結構です」
と答えると
「では日付なしの予約表をお渡ししておきます。何かあれば来て下さい」
そう言われて診察室を後にしました。

そして待合室に戻った途端に涙が溢れました。

カウンセリングルームで

程なくしてカウンセリングに呼ばれました。
まだ感情が抑えられず涙を拭きつつ入室する私に驚いておられました。

訳を話すと非常勤で来られている方なのに
「申し訳ありませんでした」
そう謝られとても驚きました。

そして
「高次脳機能障害の人が普通に毎日を送るってそれだけで十分頑張ってるってことですよ。前向きじゃなかったらリハビリなんて行ってないですよね。リハビリに通うことも病院に通うことも大変で、前向きじゃなかったら出来ないことですよ」
そう言ってもらえました。

最後に次回の予約が入っていないことに気が付かれ
「何もお役に立てなくてすみませんでした」
そう言って見送って下さいました。

先生にはわかってもらえなかったけれど、カウンセラーの方にわかってもらえたようで少しほっとしました。

リハビリに行って

実は前々日から右肩を中心とする痛みに悩まされ、眠れなかったりしていたのでリハビリの予約をしていました。

向かう途中、落ち込んでいたためか違う電車に乗ってしまったり、車内やカフェで思い出しては涙が溢れたりしていました。

何とか気持ちを落ち着けてリハビリをと思っていましたが、施術を受けながら話しているうちに我慢ができず涙が出てしまいました。

「使いますか」とそっとティッシュを置き、黙って話を聞いてくれました。

そして聴き終わってから
「みどりさんが日々何とか頑張ってる姿を見ているので僕も悔しいです」
そう言って下さいました。

「それひどすぎますよ」とかではなくて
「僕も悔しいです」
そう言ってもらえたことが本当に嬉しかったです。

「私の頑張りが認めてもらえないことを先生も悔しいと思ってくれる」

病院での出来事はとても悔しく悲しかったけれど、そんな風に思ってくれる人が自分の担当療法士なのだと改めて認識しました。

波乱万丈の一日ではありましたが、理解してくれる人がちゃんといて、こうやって私の嬉しいこと悲しいことを我がことのように思ってくれる人が家族以外にもいることを知ることができました。

とはいえ日々の生活はやはり大変ですし、このことはまだまだ尾を引きそうですが何とか頑張れそうな気がしています。