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目標を見失って
ここしばらく苦しい日を送っています。
ブログも書きかけては中途で保存。
下書きばかりが溜まっていきます。
もやもやを言語化したら少しは楽になるのか?
期待を込めて書いてみようと思います。
楽しいことに参加すると
くも膜下出血発症前からの素敵な友人がいます。
いくつものコミュニティを運営し(しかも無償で)
いつも楽しいイベントを開催してくれます。
私一人で参加することもあれば
家族ぐるみで参加することもあります。
新たな人との出会いもあり
時が経つのを忘れてしまいます。
ところが参加すると必ず翌日に反動がきます。
動けないほどの疲労と全身の痛み。
楽しむと罰が下るのか?
そう思うほど毎回です。
どうしてなのか?
担当療法士さんに相談してみました。すると想像だけれどと前置きした上で
疲れや痛みの兆候は出ているけれど
それに気がつけないことが課題で、
気が付けないのは自分の脳や身体に意識が向けられない高次脳が要因かもしれません。
とりあえず疲れや痛みを感じる前に、例えば1時間に1回、自分の身体に大丈夫かな?と向き合ってみてください。
そうアドヴァイスをいただきました。
それからはアドヴァイスを意識してイベントに参加するようにしました。
ところがお酒がまわり楽しくなると不思議なことに、いつもは苦手な照明や騒がしさが気にならなくなります。それで自分の身体に大丈夫か確認するのをすっかり忘れてしまいます。
せっかくもらったアドヴァイスなのにこれでは意味がないですよね。
大人しく家にいた方がいいのかな?そんなことを考えたりしました。
辛いリハビリ
高次脳機能障害のリハビリが始まって2ヶ月ほど経ちました。
最初はさほどでもありませんでしたが段々リハビリの宿題が辛くなってきました。
子供の頃から宿題は先に済ませないと落ち着かない性格でした。
なのでリハビリで出された宿題も最初はもらった数日間で
終わらせるようにしていました。
ところが段々ペースが落ち始め、先日はついにリハビリの前日になっても
宿題のプリントをを出し入れするだけで一向に取り組めなくなっていました。
そこで自費リハの先生に集中するための何か方法がないかメッセージで聞いてみました。
すると
「プリントができているときと出来ない時に何か違いはありますか?」
と返事がきました。
この先生の素晴らしいなと思うところは何かが起きたときに
「起きる前と後の違いは何か」といつも問われることです。何度か聞かれるうちに、何かがあったときに少しずつ自分でも違いはないか考えられるようになりました。
自分で考えてみて
以前と何がちがうのだろうか。
残っているプリントを見つめてみました。
すると一つは苦手とする問題で何度やっても合わなくてそのままになっていました。
もう一つはゆっくりやれば間違えずにできる簡単な問題が残っていました。
難しい問題は半分まで何とかやって、簡単な問題を先にやってしまおうとしました。
ところが100マス計算や数字の大小比べをしているうちになんでこんなことをしているのだろう。
こんなことも出来ないのかという事実が辛くて途中でやめてしまったことに気がつきました。
難しいからやりたくない。
現実と対峙したくないからやりたくない。
そんな自分に気がついて情けなくなりました。
生き甲斐だった音訳ボランティア
高次脳機能障害かもと気がついたきっかけは長くやってきた音訳の録音が
上手くいかなかったことでした。
音訳ボランティアってなに?
そう思われる方も多いかと思います。
端的にいうと文字などを音声に変えて録音し、視覚に障害がある方にお届けするボランティアのことです。
わたしが所属していたところは、テストに受かった人が半年間の講習を受け、最終試験に合格してやっと音訳の会の会員となれます。
しかも会員となってからが大変で、地方出身の私はアクセント専用の事典を片手に写真やイラスト、グラフに漫画などどういう風に読むのかひとつひとつ学んで来ました。
多い時には週に4日も5日も通い、「ブラックだよね」なんて言いながらもやりがいを感じ10数年ボランティア活動をしてきました
お金はいただくどころか年会費を払い交通費をかけ活動していました。
急性期で一時的ではありましたが、目が見えない経験をした私にとっては
退院したらなんとしても再開したいと思っていた活動でした。
だからこそ回復期で
「運転もしないし仕事もしていないから高次脳機能障害の検査を省きました」
と聞かされたときは言いようのない悲しみと憤りでいっぱいになりました。
お金になるかならないかが境界線なのでしょうか。
お金を払ってでもやりたい活動なら本人にとってはとても価値があるものなのかもしれないそう考えて欲しかったです。
高すぎるハードル
高次脳機能障害と認定されリハビリを行う中で何とか音訳に復帰したいと作業療法士や言語聴覚士の方に相談しました。
けれどもマルチタスクが苦手な私にはアクセントを始め様々なことに気を使いつつパソコンを操作して録音をする。
それはとても難しい作業でした。
それに加えての注意障害。
他人の録音を聞き返すことも難しいでしょう。
言語聴覚士の方に言われました。
お二人の自費リハの療法士さんをも巻き込んで何とか方法がないか色々考えていただきました。でも、やっぱり私には難しそうです。
諦めるしかないのかなそう思い始めました。
できる範囲でやれることを
音訳だけでなく趣味だった刺繍も講師資格を取って教室を開いていたカルトナージュもリボンレイもどれも無理そうです。
やってみたいことはいっぱいあったけれど今の私にはどれも手が届きそうにありません。
脳外科の先生に
「できる範囲でやれることを」と言われましたがそれが何なのかはわからないままです。
マラソン大会のラン&ウォークの部に出ようかと考えたりもしていましたが、音訳を諦めるしかないのかなと思ったらいろんなことが色褪せて来てしまいました。
継続する力
リハビリを続ける意味って何なのでしょうか?
続ける原動力ってどうしたら湧いてくるのでしょうか。
楽しいことに参加すると悪くなる体調。
自分と対峙しなければならない高次脳のリハビリ。
諦めなければならない音訳活動や趣味。
この状態でリハビリをするだけの毎日にちょっと疲れてきた感じがします。
ともすれば、あの時どうして助かってしまったのだろう。
ネガティブな思いが浮かんでしまいます。
そして家族に対して口にしてはならないと、その言葉を飲み込むことにも疲れて来ました。
どうしたら今の自分を受け入れられるようになるのか。
どうしたら残されている能力でできる
やりたいことを見つけられるのか
模索する日はまだ続きそうです。