何かに取り組むときに、「動機づけ」とか「モチベーション」というものがあります。
その「動機づけ」には、大きく分けて「外発的動機付け」と「内発的動機付け」があります。

ご存じの通り、外発的動機付けとは、ご褒美や報酬、評価などの「好子」と呼ばれるものや、反対に、「嫌子」と呼ばれる罰則や懲罰のようなものがあります。
それに対して、内発的動機付けとは、物事に対する強い興味や好奇心、探求心など、自分の内面的な要因によって生まれるものです。

何かを始めるとき、外発的動機付けがあると取り組みやすかったりします
私自身、ランニングを始めたときに、毎日インスタグラムに走った報告を入れていました。そこにつく「いいね」が私にとっての動機づけとなっていました。

毎日続けているうちに、「もう少し距離を伸ばしたい」「もう少し早く走れるようになりたい」と考えるようになり、気付けば、インスタグラムでのランニング報告をするのを忘れるようになってきました。

何が言いたいかというと、外発的動機付けで使われる、ご褒美や報酬について「ご褒美がないとできない子になってしまわないですか?」という保護者や先生に多く出会ってきました。
もちろん、ご褒美の使い方を間違えると、そうなってしまうこともあります。でも、
外発的動機付けによってやる気になったことをきっかけに、内発的動機付けが生まれる可能性も十分にあるのです。「(ご褒美のために)やってみたら、できてうれしかった。」と感じることで、「次もやってみたらいいことありそうかも」という内発的動機付けに変化する可能性があるのです。

その効果的な方法が「褒める」ことです。
「褒める」のは、その行動の結果ではなく、その過程の中で見られたいいところを褒めるのがいいといわれています。
例えば、プリントをやるときに、「全部解けたね」よりも「集中して取り組めているね」とか「難しいところだけど、よく考えているね」などのほうが効果的であるといわれます。
大人に上手に褒められると、子どもたちは「褒められてうれしい」「もっと褒められたい」というところから、頑張る気持ちを作り出していきます。そのうち、自分なりの面白さを見つけたり、次の目標が見つかると、できることが「当たり前」に変わっていきますし、次の頑張る気持ちを作り出せるようになるのです。

私も、みんなの「いいね」の応援をもらうために毎日写真を撮っていました。でも、今は写真を撮らなくても、毎日走ることができています。もちろん、早く走れるわけでも、距離が長いわけでもありません。小学校低学年程度だと思います。それでも自分の中で「今日も走った」という満足感で走っています。つぎは、それをもとに、リレーマラソンに挑戦します(リレーなので、頑張るのは私をフォローする皆さんですが)。少しでも早く走れるように、最近はタイムを取りながら走るようになりました。

ちなみに、「褒めすぎると図に乗る」という大人もいますが、きっと、その人は、うまく褒めるのが苦手なのだろうと思います。褒めて図に乗られてしまうのは、タイミングだったり、ポイントだったりがずれているときにおこります。ご褒美も同様ですね。
相手の要求に応じて、褒めたり、ご褒美を与えることでは、内発的な動機付けにつながりません。

次回のnoteを担当するときには、「褒め上手になろう」について書こうと思います。

なきりん


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