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体育の授業が死ぬほど嫌いだった話。(2021/9/7編集)

 先日、にじまゆプロジェクトのオンライン交流会で、Nikeの動画の話が出ました。SNS等で話題になっていたので、ご覧になった方もいらっしゃるかなと思います。
 元の動画は現在視聴できないようですが、ハーフの人にもスポーツは活躍の場をくれるよ、ということを伝えるような動画でした。そのため、SNSではみんなを輝かせるスポーツって素晴らしい!という意見がある一方で、人種差別なのではないか、という意見もちらほら。ここでは、どちらが正解かという話をするつもりはありません。
 ただ、人種差別を抜きにして、「スポーツは正義! スポーツすれば悩み解決!」みたいなスタンスは、個人的には苦手です。(すごく極端な解釈ですが)
 オリンピックもそうですが、スポーツが平和の象徴、みたいな考え方ってありますよね。昔からそういう考え方に同調できない自分がいました。
 どうしてかと振り返ると、スポーツのせいで痛い目を見てきた自分がいたからです。

 その諸悪の根源が、小学校~高校までに自分が受けてきた体育の授業だったと思っています。自分にとって、体育の授業は拷問だったし、運動会は公開処刑だと思っていました。

 なお、私は別に世の中の体育教師を敵に回したり、頭ごなしに否定したりしたいわけではありません。体育の授業があったから輝けた人や、そこでの学びが今の自分に繋がっているという人もいると思いますし、それは素敵なことだと思います。また、世の中の体育教師にも、生徒を不幸にするために授業をしている人なんていないと思います。
 それなので、この先は、子ども時代の体育の授業にうまく馴染めなかった一個人のお話しとして、読み進めていただけたら幸いです。
 また、自分の子ども時代のことを書いているので、今の体育教育とは違うところもあるかもしれません。その点はご了承くださいませ。

運動がめちゃくちゃ苦手だった

 体育の授業が嫌だったのは、そもそも運動全般がめちゃくちゃ苦手だったからです。小学校低学年の頃はそこまででもなかったのですが、3年生あたりから周りと差がついてきて、持久走大会なんてビリから2番目とか、そういう世界。球技も苦手でした。
 頑張ってもできないことはできないし、抜けない人は抜けない、というのが他の教科よりも顕著に表れるのが体育の世界だと思っています。体格にも差がありますからね。
 しかし、できないのは努力不足だから、自分が出来損ないだから、と思ってしまった当時の自分にとって、体育の授業は自己肯定感を下げるもの以外の何物でもありませんでした。できるように頑張ろう、と言ってくれる先生もいたので、期待に応えられないことを申し訳なく思ったこともありました。本当につらい時間だった……。
 逆に、運動が得意な人にとっては、体育の授業は自信を育ててくれる大切な時間だっただろうな、とも思います。

人と比べるのが大前提の世界

 道徳の授業では、「みんなちがってみんないい」と教えるくせに、他の授業って何でも点数が付きますよね。体育でも例外ではなく、どんな競技をやっても、順位付けや勝ち負け、できた・できないが付きまといます。
 特に体育で嫌だったのは、できないことをみんなに知られてしまうことでした。50m走でタイムを計れば、誰がクラスで一番遅いかなんてすぐに分かってしまうし、みんなで同じ場所でやるから、誰が跳び箱を跳べないかも分かってしまう。私が体育が苦手なことをみんなが知っているから、ドッジボールでは真っ先に狙われる。
 ましてや、運動会や持久走大会なんて、保護者まで呼んでやるから本当に公開処刑でした。
 
 運動はできませんでしたが、座学はそこそこできたので、体育の成績がみんなに分かってしまうのなら、他のテストも廊下に張り出すとか、運動会みたいにクラス対抗で競い合うとかしないとフェアじゃないと思っていました。
 
今はどっちもなければ良いと思いますけどね^^;

運動が嫌いかというと、そんなことはない

 高校卒業まで嫌で嫌で仕方なかった体育の授業なのですが、運動が嫌いなわけではありません。
 
そう気が付いたのは、大学入学後間もなく、よさこいサークルを始めた時。
 栃木→青森と移動して始まった大学生活だったので、知り合いゼロで焦っており、とにかくサークルに入らねばと、深く考えずに始めたよさこいだったのですが……。これが、めちゃくちゃ楽しかった。そこそこ動きも激しく、運動量が多いのですが、苦にはならなかったです。(振付覚えるのは苦手だったけど)
 それから、大学1年生の前期に必修の教養科目で選んだ、フィットネスの授業。ウォーキングしたり、サイクリングしたり、スイミングしたりして体動かすだけの授業だったんですが、一緒に授業を受けていた人とも気が合って、気付いたら楽しみの一つになっていました。

 あと、面白かったのが、社会人になってからの会社の運動会。世の中には「運動会屋」という超個性的なサービスがありまして、社長から平社員まで立場関係なく、みんなで運動会が開催できるんですよ。大の大人が本気で玉入れしたり、大玉転がししたりするんです。部署も世代も違う社員と、謎の結束が生まれる貴重な体験でした。もう一回やってもいいとさえ思います。運動会、あんなに嫌いだったのに。笑

 その後もまたよさこい始めたり、zumbaやったりしてました。良かったら過去記事もご覧くださいませ。

根性論とか競争じゃなくて、体を動かす楽しさを教えてほしかった

 根性論も競争も、人生の中でぶつかることだとは思うので、それを学べたというのは収穫だったのかもしれませんが……体を動かすのってこんなに楽しいんだよ、気持ち良いんだよ、というのを、体育の授業でもっと知りたかったなぁ、と思います。今の学校現場がどうなっているかは知りませんが、少しでも変わっているといいなぁ……。
 体育のせいで学校が嫌になる、はたまた自分を嫌いになる、なんて子どもがいなくなればいいなぁと祈るばかりです。


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