お祭りに行くと、小学生の僕がいた。

生まれ育った街の祭りに行った。たぶん、15年以上ぶりの参加である。二日間の開催で、数十万人ほどの人が訪れる、にぎやかで規模の大きなお祭りだ。小さい頃、僕は街をあげてのこのお祭りに毎年のように行っていた。

祭りは、街の中心部から広範囲にわたって催され、どこを歩いても、激しい人だかり。原宿の竹下通りの人混みが延々とつづくような光景と似ている。街のところどころで山車が巡行し、笛、和太鼓、鉦の祭囃子がにぎやかに鳴っている。沿道は屋台でぎゅうぎゅうで、「チョコバナナ」「お好み焼き」「たこ焼き」「ベビーカステラ」「りんご飴」と見慣れた看板が隙間を空けずに陳列されている。ああ、懐かしい。僕はその祭りの風景に郷愁の念を思わずにはいられなかった。 

街の様相は栄枯盛衰のごとく変わっていく。僕は年に一度、正月のときに実家のある地元に帰るけど、僕の生まれ育った街は、毎年、少しずつ、人間の細胞が日々生まれ変わるように変わっていた。新しい店ができたり、その反対に、長くつづいていた店がなくなったりしていた。何度も遊びに行っていた駄菓子屋がなくなっていると、なんだか僕の思い出も一つ消えてしまったようで悲しい。

でも、祭りの光景は、あの日の光景とほとんど変わらない。「タピオカ」と描かれた、当時は存在していなかった屋台もぽつぽつと見かけたりしたけれど、ほとんどの屋台は子どもの頃からあったものだ。祭りには、あまり栄枯盛衰というものがないのかもしれない。

地元に帰っても、幼少時代を思い出すことはほとんどなかったけれど、お祭りは、子どもの頃に帰れたような気がした。祭りというものは、思い出がたくさん詰まっている記憶箱のようなものかもしれない。時を超えてその場に立つと、遠い昔の、記憶の蓋が開く。

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