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教科書の説明文の学習を、新書を読むことにつなげる

小学校で行われる説明文の授業を、子どもたちは楽しんでいるでしょうか。授業を見ていると、だいたい「問い」と「答え」を見つけるだとか、要約するとか、筆者の主張を読み解き自分の考えを述べるとか、そういう授業が多いように感じます。もちろん、学習指導要領にそのような読み方の指導の方向性も示されているので、それを否定するつもりはありませんし、自分もその学年に示された指導事項はきちんと押さえるべきだと考えています。

でも、説明文には、必ず「問い」が示されていて、それを見つけることが説明文の正しい読み方のように指導することには違和感を感じます。私たちは、教科書の説明文の教材をどのように捉え、教師として子どもたちに何を手渡すことができるのでしょうか。

そのことを考えているうちに、将来、新書を読む力につなげることを1つのゴールとして設定できるのではないかと言う現時点での結論に至りました。そこで、今日は、教科書の説明文を出発点にしながら、説明的文章である新書を読む人を育てていくための道筋について考えていこうと思います。

小学校の説明文教材

自分が子供の頃に読んだ小学校の説明文教材を覚えていますか?私は、とてもよく覚えています。「イルカの会話」では、イルカ同士が会話しているという事実を実験を通して明らかにする内容でした。イルカが会話をするということに驚きましたし、それを証明するための実験手法にも感心したことを今も鮮明に覚えています。

その他に、「大陸は動く」や「カブトガニを守る」も記憶に残っているし、高学年の教科書に載っていた脳の仕組みを説明する教材文(タイトルは忘れました)も「ニューロン」とか「シナプス」とかそういうキーワードと共に、おぼろげながら今も記憶に残っています。

自分のこれらの記憶を思い出すと、内容が印象的だったということが分かります。説明文には、自分が知らなかった世界が拓かれる楽しさある。そしてその世界が虚構ではなく現実のものだということに大きな特徴があるのではないでしょうか。

説明的文章も物語?

学校では、説明文と物語というような分け方をよくします。教材文を取り扱う時に、「これは説明文?物語?」と問うようなこともあります。しかし、教科書の中で説明文とカテゴライズされるものには、十分に物語的なものもあります。例えば、「ウナギのなぞを追って」(光村図書 四年下巻)は、毎年マリアナの海に出て、ウナギがたまごを生む場所を探す調査の軌跡を描いたノンフィクションです。これは、著者の探究の物語そのものだと言えます。

「これは説明文?物語?」という問いは、「ノンフィクションかフィクションか」ということを意味して問うていると考えられますが、物語的なノンフィクションも世の中にはたくさんあるということを理解しておきたいと思います。

教科書で扱われる説明文は、どれもその道の専門家が自分の探究している分野について、かみ砕いて文章化し、その面白さを伝えようとしているということです。そこには、筆者の人生の物語が存在し、説明文では、文章を通してその人と対話するような感覚が味わえる楽しさもあると感じます。

説明文にも様々な文体がありますよね。例えば、私が今書いているこの文章は、読んでいるあなたへのメッセージのような形で書いています。でも、noteを書いている人が全員このような書き方をしているわけではなく、きわめて論理的に文章を組み立てている人もいます。伝えたいことを伝えるための手段としての文体は、著者の伝えたい思いや人柄を映し出しているとも言えます。

コンテンツとコンピテンシー

平成29年度の学習指導要領改訂では、コンテンツベースとコンピテンシーベースという言葉が頻繁に言われるようになりました。簡単に言えば、コンテンツは内容の部分、コンピテンシーは資質・能力の部分。知識偏重を問題視して、コンテンツベースからコンピテンシーベースへという主張があちこちで聞かれます。

私も、知識の詰め込みには反対です。でも、コンピテンシーを養う際にコンテンツの魅力は欠かせないものだと考えます。わたしが「大陸は動く」の教材から学んだことは、何だったのでしょうか。きっと、段落相互の関係を考えて読むこととか要点を捉えて理解することとかだったのかもしれません。それも、きっと今の自分に役立っているのでしょう。

でも、「大陸は動く」のインパクトはそれだけではなかった。自分が壮大な地球の歴史のごくごく一部だと感じたことや、自分が体験する地震などの自然現象もこの大きな歴史の一部として機能していること、大陸が動くなんて普通では考えもしないことを予想し、証明していった人たちがいたことなどが自分の心を動かしたのだと思います。

きっと、筆者もそのような気持ちを共有したくてこの文章を書いたのではないかと思うのです。そう思うと、「内容でなく、技能を身に付けることがこの文章を読む目的だ!」という意識を強めすぎることに抵抗を感じてしまうのです。もっと、純粋にノンフィクションを楽しめるといいな…と。

説明文の指導で大事にしたいこと

息子が小学校で最初に学んだ説明文教材は「くちばし」(光村図書 1年上巻)でした。息子はこの「くちばし」という教材にものすごく関心をもちました。そのきっかけは担任の先生による読み聞かせです。

これは、息子のその時の興味関心にぴったりマッチしたのだと思います。図書館でこの本を借りてきて、私に読み聞かせしてくれました。「どうぶつの赤ちゃん」や「じどう車くらべ」では、同じようなことはしていなかったので、やはり個人の好みの違いやタイミングなどがあり、心に響く教材とそうでない教材があるということです。

教科書の説明文は、子どもの知らない世界を提供してくれます。そして教養を広げてくれます。しかし、そこに興味を抱くかどうかはその子次第。そもそも1人1人違うのだからそれでいいのです。

では、説明文の指導で教師は何を大事にすればよいのか。私は3つあると思っています。
1つ目は、教材の魅力を教師が受け取ろうとうすること。教師も人ですから、「この教材好き」とか「扱いにくいな。おもしろいと思えない」とかいろいろな感情をもって授業準備をすることでしょう。でも、教材として扱っていくからには、その教材としっかりと対話すること、筆者が感じているこのコンテンツのおもしろさを理解しようとすることが必要だと思います。正しく理解するというより、楽しさを分かち合う感覚に力点を置くようなイメージです。

そして2つ目は、教材を使って押さえておきたいポイント(学習指導要領に基づくもの)をきちんと確認しながらプランすること。これは、コンピテンシーを育てるという視点から、欠かせないと思います。スキルを積み上げていくことも必要な要素です。コンテンツに魅力を感じられない子もいますが、これは指導事項として子どもの様子を見ながら進めていきたいところです。

3つ目は、関連図書を読めるような環境を用意するいうことです。説明文を読むことは、教科書を入口として教養を身に付けていくことにつながります。世界を知るための手段を一つ手に入れるということです。もっと学びたい人は、本を読めばいい。そういう感覚を小学生のうちからたくさん経験することで、自分で知識を広げていく楽しさを能動的につかみ取る力が養われていくのだと思います。ブックトラックに関連書籍を並べておくだけでもいいし、単元の最後に関連する絵本を読み聞かせするだけでもいいのです。

この3つは、国語の授業に限ったことではありません。コンテンツを通して教養を身に付けさせるという視点からすると、理科、社会、道徳など、あらゆる授業において、大切にしていきたいポイントであるように思います。

新書を読むことにつなげる

「先生、うちの子、本をあまり読みたがらなくて…」という相談をたくさん受けます。そういう時には、その子のことをじっくり理解しようとすることから始めます。「図鑑ばっかり読んでしまう…」という声もありますが、私は、図鑑、大賛成です。図鑑も、その分野のことを説明しようとしている本であり、教養を身に付けるのに十分価値のあるものだからです。

図鑑、実用書、学習マンガなどを好む子は、直接的に世界を理解しようとしているのです。鳥の図鑑に夢中になった子は、もっと知りたくなったとき、鳥のことを研究している人ときっと話をしてみたくなるはずです。そのときに、本を読むという選択肢が出てくるといいですよね。そして、説明文を読むスキルが生きてくるといいなと思います。

ここで問題となるのが、図鑑や学習マンガから新書へのかけ橋の部分が弱いということです。図鑑や学習マンガが好きだからと言って、「もっと知りたいから新書を読んでみよう」とはなりませんよね。ここには、やはり意図的な介入が必要だと感じますし、今の学校教育で、正直足りていない部分だと感じます。図鑑や学習マンガを読むこと・教科書での説明文の学習・説明的文章の読書の3つが分断されている例だと思います。

出版社はその辺りの課題をしっかり検討しているように思います。新書を読むことにつながる書籍に教師が目を向け、意識的に取り扱うことはとても大事です。

小学生向けには、科学絵本がまずは入口になると思いますが、その中でも「たくさんのふしぎ傑作集」はどれもすばらしいなと感じます。印象として、新書につながるとは感じにくいかもしれませんが、きちんとした複数の根拠に基づいて書かれていたり、長期に渡る実践を丁寧にまとめていたりすることが、探究的な学びを刺激してくれており、新書の前段階として位置づけていいと私は思います。絵本のようなカテゴリですが、レベル的には小学校の中・高学年にぴったりだと思います。

最近創刊された「岩波ジュニスタシリーズ」「ちくまQブックス」などの手に取りやすい新書の入口になる本には注目しています。これらは、小学生でも読書力のある子たちなら読めると思います。もちろん中学生にもおすすめしたいです。

「小学館youthBooks」も新しく創刊されました。これは前述の2種類よりも若干難しめの印象ですが注目しています。「14歳の世渡り術シリーズ」も読み物としてとてもおもしろいです。いずれは「岩波ジュニア新書」「ちくまプリマ―新書」などを読めるようになってほしい。そのために、子どもたちにこれらの本を紹介し、段階的にこういった本を読めるようになるための説明文指導を意識するようにしたいと感じます。

岩波ジュニア新書をいくつか読んでみると分かると思うのですが、筆者によって文体が様々です。(大人の新書と一緒ですね。)硬めの文章のものもあれば、物語のように読めるものもあるし、対談のようなものもある。文体によって、読みやすさが変わります。フィクションに親しんでいる子には、物語風の書きぶりのものを勧めると読みやすい可能性があります。逆に、図鑑が好きな子は、トピック別になっていて読みたい部分だけ読むという方法が選択可能なものが好まれるでしょう。理屈や系統性が分かりやすいものの方が親しみやすいかもしれません。入門期はビジュアル的なヒントが多いものを選ぶのもポイントです。

終わりに

今日は、説明文の授業を新書の読書へとつなげるという視点で書いてみました。でも最後に言いたいことは、本を読ませる!ということにこだわらなくても良いということ。読書を推進している人が何を言っているの?と思われるかもしれませんが、読みたくない物を読まされるのは苦しいものです。本は楽しむものです。

担任してきた子の中には、どうしても読むことが難しい子もいました。それは、その子の個性として受けとめて、その子の発達に合わせてコンテンツを楽しむ方法を提案すればよいし、その子の人生の充実にとって必要なものを幅広く考えていけばよいと思っています。

今日扱ってきたのは、教養を身に付けるための読書です。今は、本以外にもたくさんの情報源があります。先ほどの鳥の例で言えば、鳥のことを研究している人の作成している動画を見たり、近隣の鳥情報を検索したり、鳥について同じように関心をもつ人たちのネット上のコミュニティをのぞいてみたり…。SNSの発展によって情報発信している人ともつながりやすくなりました。昔に比べて、おもしろい関わり方がいろいろできそうですよね。

そうしてクリエイティブに教養を広げていけるならば、どうしても新書を読ませる!ということにこだわらなくても人生は楽しめるということです。子どもたちの世界を広げていけるような楽しい授業を提案できる教員になりたいなと思います。

長文になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


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