7月11日 1+1=2 次の課題へ


 こんにちは。
 数日、不調が続いたところで、次の課題が見えてきました。

 今日、仕込みのときに、私は枝豆を湯がこうとして、勘違いをして氷水を作りました。大将が、
「それがいるわけじゃないじゃん!」
と怒鳴ったとき、咄嗟にすみません、と塩のついた氷を、袋に戻してしまいました。
「なんで、袋に氷を戻すのよ!塩ついてるってわかるでしょ」
「気が動転してしまって」

 そう言って、その後も言われる言葉に耐えられず、私はまた衝動的にその場を飛び出してしまいました。
 でも、踏みとどまってすぐ戻ると、先輩たちに大将が、
「なんで、塩のついた氷を戻すのかね」
と仰っているのを聞いて、
(ああ、なんだ、そうか)
と気がつきました。
 本当に、塩のついた氷を袋に戻す理由が、わからないんだと思いました。

 私は、情緒にふれすぎている。誰かを傷つけないようにとか考えすぎてきて、複雑に見えてしまう癖がついていたんだ。
 シンプルに、塩のついた氷を袋に戻すことは、しないことなんだ。

 休憩の始まり、先輩たちが私のことを
「何がしたいかわからない」
と言っていました。

 塩のついた氷を袋に戻す、その失敗を謝っても何度も繰り返すのは、失敗する自分フォーカスして、失敗する自分を治すために、また失敗をする。
 でも、当たり前。塩のついた氷は、袋に戻さない、これからもずっと。それでいいんだ。そうやって、知ったことを積み重ねるのだ。失敗しないためとか、褒められるとか、そういうんじゃなくて、物事の道理を知っていく。

 私は人を、可哀想か可哀想じゃないか、傷つけたか悪いことをしてしまったか、そういうことで、人の気持ちを正義にして、人の気持ちを守ることを使命にして、見えない悪や見せない使命に燃えていました。

 でも、シンプルに、塩の氷は袋にいれない。
 砂糖をいれると、甘くなる。
 美味しいものは、正義だ。
 技術が高いことは、良いこと。

シンプルでいいなら、ここではシンプルで良いなら、
全部余計な枝葉を切り捨てて、シンプルに美味しい、整合性が取れた、理に適ったものを作ろう。技術を、磨こう。

 私の場合、それに振り切ったって、あれだけ心に悩んでいたのだから、心まで失わないだろう。

 次の課題、そして達成目標は、技術を入れること、お店の中核として機能すること。
 達成目標は、中さんくらいまでいけること。

 1+1=2  それにすら、誰かを傷つけないか、誰かが傷んでいないかをはかろうとしていた私へ。

 尾鰭をつけて、自分のこだわりにがんじがらめになっていた私へ。

 1+1=2 だよ。それでいいんだ。

 読んでいただきありがとうございました。


追記
 私はツインレイというものがいると、漠然と思っていて、その相手は最近サイレント期間を終えました。
 次の試練が、私の自立だと思っていて、それが技術を持つこと、自分の能力でお店に立つことだと思っています。
 だから、その間に相手が離れてしまっても、誰かを見つけてしまっても、もしくは自分が自立への不安から誰かに縋るように逃げたとしても、流れだと思います。
 ただ、ツインレイなら自然に流れが戻ってくるだろう、そんな気持ちで、今は、離れていく怖さを捨てても集中して技術を作ります。
 いつか、同じ場所に立って、同じ夢を持てるかもしれない、針に糸を通す祈りでもそっと信じて、捨て置くのです。

 そして、もう私の中で、まだお前なのか、いい加減にしろと言いたくなる摂食障害。
 新しい面。手放す、無くす、ではなくて要らなくなる。
 ひとまず今日から半年は、一緒には歩けない。信じて、出てこないでね。
 大丈夫、私は、あなたの痛みごと、大きくなるから。

 食べることが怖いなら、本当に優しくて繊細で、すべてを大事にした工程を経た料理を作ろう。私は、誰かが安心する料理を求めよう。
 


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