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誰かと会うことについて。

長い間固定ツイートにしていたツイートがある。
本日はこちらについてすこし掘り下げて書き綴ろうと思う。

このツイートをするきっかけになった人がいる。
東北の方にお住まいの方で、スペースでお話をするたびに、こんな田舎では会える人がいない、みんないいなあいいなあと自分の欲のままに口が動くそんな人だった。
私にとって不快極まりない言葉を聞きながら、なぜ私は不快なんだろうと考えるにいたり思考した。

なぜ人が人をうらやむんだろう。そしてそれらはなぜこんなにも私を不快にさせるんだろうと。


憧れはいつも私を豊かにした。


じゃあ誰もうらやましくないのと問われたら私にも感情はある。
憧れ、羨望。

私だってゴッホのエモーショナルさに心奪われるし、モネみたいな光景を描けるようになりたいしレンブラントの目になりたい。
レオナルドダヴィンチくらい頭がよくなりたいし、サバンナを駆けるヌーのように静かで強くありたいし、イーロンマスクみたいにバッテリーをインフラとして普及させるために電気自動車部門を作って販売するような時代を動かす事業にぞくぞくする。
できることならクレオパトラや小野小町のように絶世の美女になりたいし、オードリーヘップバーンみたいにチャーミングになりたいし、若いころのジェーンバーキンみたいに肉体の香りを置き忘れた人形みたいな少女になりたいよ。
それから富士山のようにいつでも美しくいたいし、夕暮れのように人に寄り添いたいし、海のように何もかも受け入れていたい。

私にとってのあこがれはこういうもので、高ければ高いほどいいし、思うだけで心が幸せになるもの。
知り、味わい、その人の命がけを垣間見させてもらう。
バチバチ目の奥で光が飛び、私のモチベーションに火をつける。
いいもの見せてくれてありがとう。私も加速していくね、あなたのように光を放てたらうれしいよとアクセルを踏みこむもの。


いいなあ、がもつ卑しさ。

むかしからいいなあといわれるのが苦手だった。
きょうだいが多く、挟まれっこに育ち、何もかもがおさがりで、どんくさい私はくいっぱぐれたり要求を言えずにすみっこでおしだまっていて泣くこともできないような、そういうみそっかすだった。
私の中にそうして人に欲しがられるものがあると思えもしなかったから。
いいなあと人に見られるとき、その人のもつなにかもやもやした蛇のような感情が腕に体に絡みつくようで、「うわ、私もういらない、あげる」と自分自身を放り出し続けた。まあそんなことしてたら、土曜日の午前中授業から帰ったら私より先に私の家に来ておひるごはん食べてる同級生がいて愕然としたね。欲しがる人はここまで欲しがり続けて醜くなるんだなあと思ったことがあるよ。これは小学校二年生くらいの話なんだけど、こうして人格は作られてしまうわけです。
軒を貸して母屋を取られるとはこのことかと知ったこと、
金に限らず人に何かをあげると人は狂い変わってしまう。
縁が切れる恐ろしいものなのだなと言葉にはできなくとも直感的に感じたわけです。


侵食するいいなあ。

掃除が好き。料理が好き。自分で生活を整えることが好き。
じゅうくはたちくらいからこういう自分で生きていると、「二次発酵ちゃんはいいなあ」という人物が現れる。
二次発酵ちゃんの服可愛いよね、どこで買ってるのと問われ、通販とか古着だよと教えてあげる。
うまく着こなせない。どうしてできるの、と納得のいかない様子。
面倒くさくなって古着をどさっとあげたりするけどなんか違うという顔をしている。
ある日、大学のゼミの教室の掃除を一人でしていたところその子に出くわす。なぜ一人でやっているのか他の人はなぜ来ないのかとなぜか彼女が怒り出す。
私は私がやりたくてやっている作業なので、ほっといていいしあなたも帰っていいよというが、え手伝うよ、と言い出す。
私は本気で勝手に先生が授業のうちにサクサクきれいにして勝手にコーヒーを入れて研究室の本が読みたかっただけなのだが‥‥‥。
掃除の最中に彼女は激昂した。
私やっぱり耐えられない!なんで私がやらなきゃいけないの!二次発酵ちゃんはいいよね!そんな風に考えられて!私帰る!!
善意を装った理不尽の石はこんな風に飛んでくるのだとしみじみ雑巾で床を拭いた。
彼女の持つ自他境界線のあいまいさになぜ私が傷つけられなければならないのかと憤るとともに、理解不能な人間が同級生にいることは彼女の不幸だったかもなと飲み込んだ。
教授の本棚から数冊抜いて勝手に私物の本を押し込み、また来週きます、とホワイトボードに書いた。教授とは寝てませんあしからず。


感情を昇華できない幼さ。

ネットに生きていると、この2人の女に見られる”自分の感情を昇華できない幼さ”にまま出会う。自他境界線があいまいで他人に自分の機嫌をとらせようと画策し、なぜか自分では自分の機嫌を取らずに不機嫌をまき散らし、いいなあいいなと口を開けたヒナのように待っていれば何かが満たされるのではないかと妄想する人たち。そのエネルギーがあれば自分で幸せになれると思うのだけれど……。
クソリプラー、おちんぽ騎士団、アンチと呼ばれる人たちも同じ性質だなあと思っている。
なぜか他人に与えてもらいたがっており、与えられないとブロックする。
まあブロックくらいならいいけど、時にアンチになり、いわゆる巨大掲示板に書き込みをし、リンクを貼って晒しをし、いわれもない誹謗中傷をする。
(ちなみに私は女装した男と書かれて、その板は本人凸はしない板なのに焼きマシュマロがいっぱいきてたので自作自演なんだな、お疲れ様ですとそっと消した。)(あここ有料記事にしたらよかったかな)(まいっか)


誰かと会うことについて。

話を戻し、Twitterで知り合う楽しさに触れたいと思う。
正直距離は関係ないなというのが体感である。
現に仕事盛りの皆さんは時間を作って私に会いに来てくれる。
時間もお金も心も使ってそれでも会いたいのだという真心に打たれる。
下心だってかわいいよ。
だから私も遠距離で会う彼女みたいな感情で日々を過ごし、自分を過ごし、最大限を与えたくてお弁当や手土産などをせっせと作り、お渡ししている。
(もちろん差し上げて嫌じゃないか聞いているし、気持ち悪かったら捨ててもいいよと言ってます。)
帰り道、嬉しくてにやにやしているとか連絡がきたら、ああ心のどこかに居場所作ってもらえたのかなって、またが無くてもそれだけで私は嬉しい。

近場だから会えるのではなくて、距離があっても心が通じる人がいる。
距離を越えて実際にあってもセックスだけじゃない楽しみを共有できる。
そういうことが共有できたとき、虚像のあなたと現実のあなたが混じって私の中に流れ込む。
トリップにも似たセックスが私を虜にしている。

またTwitterに戻れば知らんぷりで、匂わせるような秘密の守れない子は退屈になる。そういう遊びだと思う。Twitterは。

虚像と知ってツールを楽しむハイコンテクストな遊び。
心からこれからも楽しんでいきたい。
素敵なお誘いいつでもお待ちしていますね。


最後に。

いいなと思うのはいいけど欲しがらないで、自分を落とさないで、もっと素敵になって、あなたに会いたいといわれる私でいたい。
そう思って発信したツイートです。
いろんな方に反応していただけてうれしかった。

みなさんもいい出会いをして、より素敵な自分になって、またもっと素敵な人や言葉や仕事や考えやアートと巡り合えるアンテナが育つような、そんな人間関係をはぐくんでください。ぜひ。

長い文章を読んでくださってありがとうございます。
やさしいねむりがあなたにありますように。



私を攻撃してきた人への私信

もしまだ私に興味があったらどうぞお読みください。

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