家で、死のう!
#死に方から生き方を考える
こんにちは!
子育てママに光を当てる
葉山おしゃれセラピスト、井川ともみです🌈
今日は雲っていて蒸し暑い葉山
海辺は湿度が高くてむしむししています。
さて、梅雨の合間のようなお天氣ですが
季節は着々と進み
夏の土用に入りました。
年に4回ある土用の期間は
次の季節へ進むための準備期間
夏土用を過ぎたら、もう立秋
え?もう秋??!
の前に二十四節氣の大暑が来て
一年で一番暑い時を土用の間に迎えます。
小学校は(ほぼ行っていませんけど(笑))
夏休みが始まったばかりですが
もう早めの夏休みをとった私たちは
葉山でひっそりと暮らそうと思います(笑)
というのも
夏休みで行っていた奄美大島にいる間に思っていたこと
家にいるのと段違いのゆったりした時間の流れの中で
時間のリミットがなかった旅時間
何時までに迎えに行かなきゃいけない
何時までにお弁当を作り終えなきゃいけない
という
タイムリミットが
どれだけ私のストレスになっているのか
を
改めて実感したのでした。
やらなきゃいけないことなんてないんですよ
でも私がやったほうが
みんなが快適に過ごせるし
スムーズに家の事が進むので
私がやることになっている‥
ひとりで時間に追われてせかせかしている💦
というところを本当に手放したいと。。。
もっとちゃんと「暮らし」たい
暮らすこと自体を楽しみ
慈しみたい。
ただ、日々の営みを
みんなで笑ってご飯を食べて
ぐっすり寝て
朝起きて家を整える
その毎日の繰り返しを、
生活そのものを
それ自体を楽しめる
楽しむ毎日を過ごしたいのです。
奄美大島の行き帰り飛行機と向こうで読んでいた本
家で、死のう
著者は元々外科医で
かつては
癌治療の現場で手術や抗がん剤治療も
していたそう
だけど
ある時
その全ての治療に、疑問を持ち
病院で、苦しんで亡くなっていく方をみるうちに
「最後まで精一杯生きる」
をテーマに
終末期の患者さんの見取りを
緩和ケア医として
専門に行うようになりました。
この本の中で
もっともだなぁ、と思ったのは
病氣は老化に名前をつけたもの
という著者の言葉
病氣も概念だから
人間がその症状に対しての
呼び名として
あとから付けただけなんですよね
血糖値が高い=糖尿病、と呼ばれる
血圧が高い=高血圧、と呼ばれる
検査をして数値によって決められる病名
その全ては
「老化」と定義することも、できる、
と。
そもそも私もいつも思っていたこと
どんなに上手な外科の先生であっても
整形外科に毎日通っても
怪我をしたところが
骨折したところが
全く元通りになることは、ない
治ったように見えても
元通りには、なっていない
タイムマシーンでもない限り
前と同じ状態に戻す、ということは不可能なのです。
だから
病を治す
という言葉自体が
おかしい??のかもしれません。
その症状がよくなる
もしくは
氣にならなくなる
それは、前と元通りに戻っている、ということではないし
そもそも
「老化を治すことはできない」
自然療法をずっと学んできて
実践してきて
思うことは
正にそういうことであり
根本的に「治る」「治す」という概念が
みんなと違うな、と
感じるのと
医者や、西洋医学の話を鵜呑みにしない
一番大切にすべきは自分の感覚である
というところ
この本を読んでいて
頷くことばかりでした。
医者もひとつの職業だと思う
日本語として「先生」というから
医者も学校の先生も政治家も?
なんだか普通の人とは違う
偉い?
人のような氣がするけれど
そんなことはない
ひとつの職業です。
医者という職業をその人が選んだ、ということに
他ならないし
職業に偉いも偉くない、もない
大工さんだって
漁師さんだって
バスの運転手さんだって
それぞれ違う得意なことややり方で
みんなの役に立っていて
同じ、仕事、です。
だからね
いつも思う
なんで医者の言うことだけ
みんなそんなに鵜呑みにするのか?
考えずに
疑問を持たずに
「はいはい」と言って
言われた通りに山のように、薬を飲むのか?
と。
それも身体の仕組みと自然治癒の法則を
知らないと
そうなってしまうのだな、と
現在癌治療中の父を見ていても思います。
そしてこの本で私は
「死ぬことは苦しいことではない」
と
初めてちゃんと理解した氣がします。
父方のひいおばあちゃんは
朝起きてこなくて家族が見に行ったら
布団で死んでた、
と
いう
素晴らしい死に方で
父方の祖母も
なんだか仏様のご飯が食べられなくなってきた
と
氣がついた時は胃がんの末期で
穏やかに亡くなり
母も
癌闘病で苦しい思いをしたけれど
最後は
癌からの脳出血で倒れて
そのまま意識が戻らず
延命措置もせずに
ほぼ苦しまずに亡くなりました。
でも
家で亡くなれば
本当に枯れるように
最後まで自分でできることをやって
死ぬことができるんだな、と
当たり前で
当たり前と知らなかったことを
知ることができたのです。
病院ではなく
家で穏やかに死ねるんですよ
それも
ちゃんと自分の死を受け入れて、こその話
まだやり残したことがある!
もっとあれをやりたかった!
まだ、死にたくない!
死ぬはずない!
と
抵抗しているうちは
穏やかな死は訪れないでしょう。
家族に頑張れ、頑張れ
と
言われて無理やり延命させられる人も
とても
不幸です。
だから
死を特別なものとせず
必ず
私もあなたも
死ぬのですから
ネガティブな話ではなく
死の話をし
自分の理想の死に方を
大切な人に伝えておくのは
必要なことだと感じています。
どう死ぬか、は、どう生きるか
死に方がそれまでに生きてきたその人の生き方を
表します。
だから
死亡する確率100%の私たちは
心臓が止まるその日まで
自分らしく生きていくために
今、この瞬間も
自分らしく生きていきましょう
日々の暮らしを大切にして
大好きな人たちに大好きだと
毎日伝えて
いつ訪れるかわからない死を
その時
ちゃんと受け入れることができるように
この何でもない毎日を大切に生きていきましょう
そして
私はやっぱり
自然療法的な生き方を通して
もっと自分らしく楽に心地よい生き方を
提案したい!
この本を読んで、また勇氣をもらいました。
子育ても生き方も絶対楽になる
自然療法的生き方をお伝えしていきます。
奄美の行き帰りでお世話になった
peach✈️
マスクをしないで飛行機に乗る
という私に
とても丁寧に優しく接してくれました♪
「マスクをしなくてもエチケットは守る」
という
三か条一緒に読み
笑
守るように求められましたが
それでもノーマスクで飛行機に
乗れてよかったです♪
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