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もう一人の自分

お疲れ様です。
村井 翔です。ご覧頂いている皆様、スキまで押していただいた皆様、本当にありがとうございます。

私が今、本当に欲しいものそれは『もう一人の自分』です。
なぜならメンタルが豆腐だから。誘惑に勝てない。行動できないだけでなく、ハッタリすらかませない。上げたらキリがないのとドンドン自己肯定感を奪ってしまうのでこれぐらいにしておきます。

なぜ昔アニメでみた天使と悪魔みたいに2通りの選択肢を思い描いて、選択が出来ないのか。これは自分自身を客観視できていないから。
周りの大人がそんな事を教えてくれるわけもなく、また実践していそうな人もなく、答えが一つしかないという思い込みを勝手にしてしまっていたから。だから間違えた選択をした時に後悔に変わって、失敗を遅れて何事にも消極的になってしまう。
本当に自分自身に強烈な自我があるなら『もう一人の自分』を置くことなんてしなくてもいいと思います。
思いますが私の周りを見渡しても強烈な自我を持て何事も貫き通す事が出来る事が出来る人は何人か思い当たります。
ただそういう人は『もう一人の自分』も同時に持ている事も多いと思います。それは自分自身との対話を大切にしてきた証だとも思います。

たぶん幼少期には『もう一人の自分』が確実に存在していたんだと思います。でも成長するにつれて自分自身を何度も押し殺していくうちに『もう一人の自分』はなりを潜めてしまうのではないかと思うのです。自分の意見を大切にしたいけど口に出せないし、態度にも表せないその時に考える事を放棄して一つの選択肢を取り続ける。その癖がついてしまっているのだと思います。
書いてて思いますが反抗期は幼少期、思春期の最低2回はあると言われていますがそれは今思えば『もう一人の自分』が出てきている時期なのかもしれません。選択を許されない状況、状態から何かしら自分の感情や考えを行動や言動に出してしまうのではないかと思います。
ただ多くの方がせっかく『もう一人の自分』が顔を出してきているのに横に置く事なくまた元の自分に戻ってしまっているのではないか?と考えれます。この反抗期のタイミングで『もう一人の自分』を横におけた方は積極性や行動力などを獲れたのではないのでしょうか?1人の人間に2人分の意思が乗っていたら、周りの人よりも力強くなるのも当然ですね。

一番まずいのは思春期に反抗期がないパターンではないのでしょうか?
これは2つあって幼少期の時に『もう一人の自分』が形成されていたパターンは全然良いと思います。体感的に富裕層の子供に多く見かけると思います。選択肢の取捨選択を小さい時から出来る環境でどちらを選んでも自己肯定感が損なわれない環境だったのかもしれません。これは完全なる私の憶測でしかないので正解かどうかはわかりません。
そしてもう1つのパターン。それは自分自身すら見失って考える事を放棄してしまった人。そう私です。
私は母親から結婚式の時にサプライズで手紙を読んでもらいました。ただ『この子は反抗期もなく、ワガママも言わず、育てやすい子供でした。』と言われました。
私は違う。そうなったのは何を言っても、やっても、そしてやる前から叩き潰されてきたから。だから自分自身を殺して、唯一親が喜んでくれる言う事を聞く、活発でない大人しい人間になっただけだったのに。
それを気づいても貰えていなかった事にもショックを受けました。
なので今の私は自分自身がわからなくなってしまっているのかもしれません。だからこれからの人生はまず自分自身をいたわって、ねぎらって、励まして、褒めて、自分自身で自分を傷つけにようし、『もう一人の自分』も形成していきたいと思います。

これは余談になりますが『ジョジョの奇妙な冒険』にスタンドいうものがありますがあれはスタンド使いの精神力がモロに影響を及ぼす物です。そして大概のスタンドがスタンド使いの自我の塊みたいな性能をしています。
そしてスタンド使いになる方法も4部以降は矢が関係していたと思います。ちょっとうろ覚えなのでなんとも言えません。
ただ矢で射抜かれた人間は全員スタンド使いになれるのではなく、選ばれた人間しかなれないという物です。
やはりそれは『もう一人の自分』を持っているか否かなのかもしれませんね。

皆様、いつも長々とありがとうございます。


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