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坂の上から思うこと

お疲れ様です。
村井 翔です。ご覧頂いている皆様、スキまで押していただいた皆様、本当にありがとうございます。

先日会社の同僚と小学生の時の話をしていたら住んでたエリアの話になりました。同僚は新興住宅街だったので不良が育たない環境だったらしく、高校に上がるまでヤンキーらしいヤンキーに出会わなかったとのことでした。

私の住んでた地域は商店街、特急が止まる駅、小さなショッピングモール、高校が3校あったので比較的賑やかなところに住んでいました。
ファーストフードも一通り揃っているし本当に便利なところです。
多少ガラの悪い人達はいましたが、私の時代にはそんなに多くなく私も高校に入るまでは強烈なヤンキーに出会うことなく育ちました。

でも決定的に同僚とエリアの特性が違うところが一つありました。
同僚は新興住宅街、私は菅原道真が太宰府に左遷される時に通った場所が駅の由来になるぐらい古くからある街。言い換えれば下町です。
そこにあった大きな違いは『貧富の差』です。

私が住んでたエリアは『貧富の差』が世間的に知られている感じと違って、富裕層が平地に住んで、貧困層が坂の上、山の手に住んでいました。

もちろん私は貧困層なので坂の上に住んでいました。
大人になった今歩いたとしても、小学校までは徒歩で20分、中学校までは30分はかかる場所に住んでいました。
行きは下り帰りは上りになるので、帰りはもっと時間がかかっていたように思います。

小学生の時の記憶を辿れば、なぜ小学校に近い子は平地に住んで僕は坂の上なんだろう?なんで僕の家から小学校はこんなに遠くて、帰りの坂はあんなに急なんだろう?家が近くて、遊ぶ時間が増えて良いなあ。世の中はなんて不公平に出来ているんだろう?
心底思っていました。

その経験から私は社会人になって通勤時間は30分以内のところにしか勤めたことがないぐらいです。そして坂に散々苦しんできたのでやたらと原付かバイク移動が多くなりました。

原付を手に入れたぐらいから、私はやっと生活水準が一般になったかな?と思えるぐらいになりました。
住んでいるエリアですでに小学生の時からコンプレックスを持っていたのかもしれません。

見出し写真の場所は私が火事になる前に住んでいた団地の前の道から撮った写真です。そのころは団地の5階に住んでいたのでもっと眺望の良い景色でしたが残念ながら団地は取り壊しになるようで廃墟になっており、すごく寂しい思いをしました。

私が住んでた坂の上のエリアに住んでいた同級生は誰もと言っていいぐらい地元を離れました。富裕層の平地のエリアに住んでいた同級生は全然います。むしろ地元を離れず住んでいる人が多いなと思ってしまします。

これは私が感じていた坂の上の不公平感というかトラウマというかそういったマイナスの感情を同級生のみんなもなんだかんだ持っていたのでないかな?と思います。

極端な例えになってしまいますが送り迎えしてもらえる環境下で坂の上の山の手に住んでいたら地元を離れないこともあるかもしれません。

子供は生まれる時に親、環境、エリアは選べません。
正直、日本に生まれた時点でかなりラッキーだと思います。
思いますがスタートラインがやっぱり人それぞれ違います。

どちらかというと私は目指すべきスタートラインにやっとたてたぐらいだと思います。これからはなんとかどんどん進んで自分の子供のスタートラインを極力できる範囲で先においてあげたいと思います。

あと坂の上に住んでいてよかったことは眺望がよかったことです。
本当に眺望だけはキレイだったのが私の幼少期のキレイ思い出です。






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