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私の写真

私は大学生活を京都で過ごしていた。
そんなある日、実家から母が私の写真を送ってきた。アルバムの中から私が写っている写真を抜き出して私に送りつけてきた。

母としては、「もう大人なんだからこれからこの続きを自分のアルバムに加えていきなさい」という想いだったのだろうと思う。

結果から言えば私はその写真を全て即燃えるゴミに出した。
当時、というか生まれてこの方、私は自分がこの世に存在していることに違和感を感じていた。自分の存在価値を全く見いだせないまま時間を過ごしていた。友人も無く心に分厚い壁を築いて、でもこの世から離れることもできずに、ただ生きていた。大学時代は特にその傾向が強く「私がこの世に存在した証」である私の写真は、大切に保管するものとして認識できなかった。

私が私の写真を処分したことを知ったとき、母はショックを受けたようだ。多分悲しませて傷つけてしまったのだろう。母は私の写真を送った事を悔やんでいた。

今に至るまで私は自分が生きていていい存在だという思いを持てないままです。自分の子供時代の写真がもう存在していないことも、私自身にとってはどうでもいいのです。ただ、母を傷つけてしまった事は悔やんでいる。
3月のライオンという漫画に、人との繋がりを「それは手放してはいけない!」という感じのシーンがあるのだが、私は写真を含めいろんな「手放してはいけない」ものをぽんぽん放り出してきたように思う。

私の家族のアルバムには私の写真は無い。
それを特になんとも思っていない自分がいる。
自己評価が低い個体としてはこんなものかなとしか言いようがない。

これからも自分の存在した証をバサバサと捨て去りながら生きていく。
ただ生きていく。


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