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#19 障害者支援に取り入れるべき「倫理」の視点─伊藤亜紗『手の倫理』を読んで

にいまーるは、障害福祉サービス事業を中心に手話普及活動も行なっている団体であり、ろう者と聴者が一緒に働く職場です。
障害福祉サービスの利用者は全員耳が聴こえません。
しかし、スタッフの比率は、ろう者2割:聴者8割と、聴者が多いので、双方の文化の違いが垣間見え、時には食い違うことも多々あります。
そんな職場から生まれ出る、聴者とろう者が共に仕事をする中での気づきや支援のあり方、仕事論などを連載していきます。
今回はにいまーる学生アルバイトの横田くんより寄稿いただきました。

 「良い」「悪い」という価値尺度は、私たちが物心ついてから現在まで、あるいは未来において、重要な判断基準となっている。落ちているごみを拾う、電車で高齢者に席を譲るといった行為は「良い」とされ、嘘をつく、図書館の返却期限を守らないといった行為は「悪い」とされる。

 このような「良い」「悪い」はどのように判断されているのだろう。私たちが「良い」行為をし、「悪い」行為をしないためにはどうしたらよいのか。また、にいまーるが行っている障害者支援事業の中で、「良い」支援を提供するには何を考える必要があるのか。

 今回は、伊藤亜紗『手の倫理』を取り上げながら、「良い」について考えていきたい。

 そもそも「倫理」とは何か。倫理観や生命倫理という言葉を聞いたことがある読者もいるだろうが、倫理という言葉に漠然としたイメージしか持たない人は多いだろう。はじめに本のタイトルにもある「倫理」とは何かについてまとめたい。

 倫理(あるいは倫理学)は、哲学系の学問分野の一つであり、簡単に書いてしまえば「良い」について考える学問である。その歴史は古く、古代ギリシアのソクラテスが唱えた「徳」がその発端とされている。

 伊藤は一つのエピソードを取り上げ、道徳との対比から倫理について説明している。彼女が息子を連れてアメリカに行ったとき、街を歩いていると物乞いの女性が近づいてきた。危険な目に合わないために、とっさの判断で息子の手を引き、物乞いを避けるように通りの反対側に渡ったが、息子はそれにショックを受け、泣いてしまった。息子にとって「困っている人を助ける」というのは、学校でも習う絶対的な行動規範であるにもかかわらず、一番身近な大人である母親がそれを破ってしまったからである。しかし伊藤は、子供が一緒だったことやよくないことが起こるかもしれないことから、物乞いを避けたのである。彼女は倫理に従って行動し、息子は道徳に則って思考したため、このようなずれが生じてしまったのだ。

 以上のように倫理は、今この状況でどのように振舞ったらよいのか、あるいはより良いのかという領域に関わっている。道徳が絶対的基準であるのに対して、倫理は状況や判断する人の社会的・身体的・文化的・宗教的条件に応じて、それぞれに異なる答えを与えるのである。

 また伊藤は、道徳が持つ「すべき」という文脈は「できる」を含意しているのに対して、倫理は「すべき」とは別に「できるかどうか」というその人の能力を判断に含んでいると述べる。「すべきだができない」という状況に陥ったときに、迷い悩み、「自分には何ができるか」を考えることが倫理の創造性を生んでいるのである。先のエピソードにおいては、道徳の範疇で考えると「物乞いに施しを与えるか否か」という二択であるのに対し、倫理の考え方を取ると、「慈善団体に寄付をする」「格差や貧困について研究する」「子供がアメリカ社会について学ぶ機会を設ける」といった様々な選択肢があることに気づく。このように定まった価値の外部に出て、明確な答えのない状態になる不安定さの中に、現実の状況に即する倫理の創造性があると伊藤は結論付ける。

 この倫理の考え方を、障害者支援の土俵に上げて考えるとどうなるか。自分の体は一つしかなく時間も限られている状況の中で、「自分に何ができるか」を考え、支援に取り入れることは倫理的で有用だと思われる。しかしそれでよいのだろうか。

 考慮すべき項目は、現実の状況と自分の視点の二つだけでは足りないように思われる。これらに加えて支援を受ける相手の能力や背景を取り入れなければ「良い」支援を提供することはできないと考えられる。にいまーるの利用者の中には、日本語が苦手な方もいれば、手話よりも日本語を得意とする方もいる。聴覚障害とひとくくりに言っても、障害を持つ個々人はそれぞれ異なる背景や能力を持っている。それを考慮せずに「良い」支援はできないだろう。「良い」支援は、利用者にとっても働き手にとっても有益な時間となる。限られたリソースを最大限生かし、関わる全ての人にとって、ためになる時間を生み出すには「倫理」の考え方が肝要である。

 障害者支援事業こそ、道徳だけでなく「倫理」という視点を取り入れるべきである。支援という正解のない活動において、倫理は「良い」行動の指標になってくれるだろう。

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文:横田大輔(@chan____dai

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