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太陽の女YOHKO③ 今からでもいい、ありがとうって、言おう。


25才の年明け

突然、上司のAさんから「yohkoさん、私の家に来なさい。」と言われた。

Aさんは、私が入社して1年半たった9月にやってきた。

『大人の事情』で経営者が変わり、会社が新体制になってからのつきあいのためまだ3か月。

少し大きな会社になり、私がいたオフィスは支社となった。本社から事務の女の子まで送り込まれ、長期出張、幽霊バイト、いろいろあった。

『大人の事情』に納得できず、辞めた上司や同僚もいた。

新卒で既にロ-ン地獄に陥っていた私だけが、事後承諾で1人で新しい組織で戸惑っているかと思いきや...

私へはロ-ンや通販会社、家庭用有線放送未納、家賃滞納で管理会社からなど、多方面から督促の電話が新体制になっても相変わらずかかってくるというカオス社員だった。

Aさんは、当時の私の親ぐらいの若さだった。

事情があり遠方から単身で暮らし。

別居している娘さんを案じていた。

鬼軍曹的存在で、多少ケムたかった。

「家に来なさい。」は、バツがついた人を含め独身者で、翌日からの正月休みの代休の単なるAさんの派閥グループの宅飲みだった。

若気の至りで、この年の3月に会社を辞めた私にとって今でも忘れられない出来事だ。

1996年の新年早々。バブルがはじけてから5年。

さすがにイケイケの格好はこのメンバーではいなかったが、それでもキツメのGパンで締め付けて、Aさん宅に翌日の夜に到着し既に他のメンバーがいた。

お寿司も、つまみも、お酒もAさんのおごりだったのに。

「何で私のここにいるんだろう?」ループの私に、「yohkoさん、輪の中に入りなさい。」と。

仕事のやり取りのいつもの口調。

「yohkoさん、無礼講。くつろがないのかよ。」

最後までお客さん扱いせず私は私でただ酒あおって、その心は「どうせ私には3人も妹がいて、卒業した大学にも大学院はないし、就職は不景気どころか、新しくリストラという言葉ができ結婚しないの?彼氏いるの?攻撃でウンザリして、ここでタダ飯,ダダ酒で時間とお腹のモトを取りに来る」状態。

終電にも十分間に合い、最悪ダクシーだろうな。

睡魔はおそっているが、そこまで酔っていなかった私はなぜか泊まる事になった。

どうもAさんは、故郷の友人や、職場のメンバー、仲の良い子などこうやって夜通しで語ったり、キャンプみたいにそのうち川の字になってごた寝しているらしい。

そして「私のベッドで寝ていいから、パジャマ来なさい」と有無も言わさず、男物のAさんのパジャマを着て眠る事になった。

翌朝、少し早く目が覚め他のメンバーは酔いつぶれているのか?

Aさんの恒例のやり方なのか。残ったお惣菜や、冷蔵庫、炊飯ジャーで各自朝食とるらしい。

ゆうべの残りと、卵かけごはん、キムチ(30代前半までハマっていた。)、牛乳とウィスキーで「カルアミルク」を作って食べた。

Aさんに申し訳なさ程度に「ありがとうございました」や「ごちそうさまでした」と言ったと思うが、心の底からの言葉でなかったことは確かだ。

それでも何か満たされたのか、Aさんの家の近くの古本屋で立ち読みして、明るいうちに電車に乗って帰宅した。

当時は、いない人の悪口言ってんんじゃねえよと思ったが、今思えば業務をする上で必要だったかもしれない。

その人のためにも、自分たちのためにも良い感じのことを言っていたのかもしれず、決して「欠席裁判」ではなかったと思う。

それから1週間後、忘新年会を兼ねた懇親会が私たちの営業所であったわけだし。

その年、1人暮らし7年目にして絶対にないんですが、富山にもどるくらいのスランプにおそわれ、そこからのリベンジは半端なかった。

何度も孤独におそわれても、自ら試練にぶつかっていき、自分を厳しくしたり甘やかしたりして、そのたびに強くなっていくのも感じていた。

そんな時、家族なのか仲間なのかわからない前の会社の集まりが、お金のかからない楽しかった時間に変わり、それは今でも大切な時間になって心の支えになっている。

その時の話も機会があればしたいのだが、職場を辞めてからこの会社のメンバーの人と偶然会うことは何人かいたが、Aさんとは現時点ではあっていない。

2003年に新潟に来てからも、ワークショップやボランティア、同窓会で最低1年に1度は前の街には訪れているが、Aさんとはまだ会うこともなく。

パフォーマンスを続けることで、Aさんやお別れを言わないで来た人と会えると信じていたい。

その時は心を込めてあらためて「ありがとう」と言うのを忘れたくない。

きっといつか必ず言おう、そう思っている。

何年たっても、言い残した言葉を宿題のように残しながら、今日も生きづらく、自分のわがままのせいで、孤独な日常をそれでも自分を甘やかしたり、だましたりして、この街で生きていこう。


※NASCにもいつかありがとうと言ってくれる日がくるのだろうか。


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YOHKO

パフォーマー。2017年に開催した当センター主催のパフォーマー公開オーディション事業「あしたの星☆」、2018年度の「あしたの星☆2」へ出演。2019年アースセレブレーション(佐渡市)のフリンジや、同年りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館のワールドダンスコンペティションに参加。新潟市内を中心に活動している。


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