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心の「空洞」と「自立」②

母が決めた習い事をかれこれ7年ほど続けたおかけで、

・私は何も真剣にできない人だ
・私の意見は人には通らない/聞いてもらえない
・母の好きなこと=私の正解、やらせてもらえること


という思い込みが無意識下に生まれていました。

ならば、母親に「辞めたい」「これは好きじゃない」と言えばよかったのでは?と思うのですが、私にはさらにやっかいな思い込みが刷り込まれていました。

それは、祖母から言われた言葉でした。
私が幼稚園に通う頃、母は体調を崩して入院をしていました。寂しくて、「お母さんに会いたい!」と泣き喚く私に、祖母はこう言いました。

「あんたは黙って私の言うことだけ聞いていればいいの!お母さんが死んでもいいの?!」

元々不安になりやすい私には、大打撃だったんだと思います。

・意見を言うと怒られる/言ってはいけない。
・意見を言うと母(誰か)が辛い目に遭う。

この時点で、すでに思い込み・・・というより、「他人に思い込まされたこと」が私の中にいくつもできていました。

「意見を言ってはいけない」という思い込みの土台のうえに、自分の意見を聞かれずに始まった習い事が積み上げられました。さらに、「意見を言うと誰かが悲しむ」という思い込みの効果によって自分の気持ちは伝えられず、ただ惰性的な日常が続いた結果、「私は何も真剣にできない人だ」というさらなる思い込みが生まれました。

また、私は元々HSP気質であり、人の感情には敏感です。
不安感は増すばかりで、人の顔色を伺うようになります。自分がこうしたいよりも、こっちのほうが人が喜ぶという理由で行動をし始めます。

こうなるとやっかいです。
結構根深く、捻れていきました。

この捻れは、次第に身体にも表れていきます。
(こちらも今後の投稿でお話ししていこうと思います。)

さて、ここまで心の空洞にまつわる「思い込み」について話をしてきましたが、私はnoteで「私の辛かったエピソード」を披露したいわけではありません。

ただ、きっかけになったらいいなと思っています。

自分の心の思い込み、つまりストッパーになっているものは何なのか。
気付こうとしない限り、解消するのは難しいと思います。

・自分は何もできない
・自分はこういう人間だ


人の数だけ様々な悩みがあると思いますが、それって本当に自分のせいなのでしょうか。
他人から思い込まされていることはないでしょうか?

全てを人のせいにしろというわけではありません。祖母や母のせいだから私は悪くないと言いたいわけではありません。

ただ、自分ではどうしようもできなかった環境が原因の場合は、必要以上に自分を責めることはないとお伝えしたいんです。

私ってこうだから・・・と話す人を見るたびに、それって本当かな?と思います。
親がこうだから、私もきっとこうなるんだ・・・と言っている人もいました。なぜでしょうか。
親とあなたは別の人間です。親と同じように子供が振る舞わなくてはならない理由はありません。

あなたが「自分はこうだ」と思っていることは、本当にあなたが生まれながらにして持っている個性でしょうか。
誰かから言われた言葉でつくられた型に、自分の身体を捻じ曲げて、無理やり当てはめていませんか?

人から思い込まされたことでも、自分を救えるのは自分しかいません。自分で変わろうとしなければ、いつまでたっても私たちは他人に言われた型にはまり続けることになります。

だから、自分のせいではないことに捉われるのはやめて、「ならば自分はここからどうしたいか」に目を向けてほしい。

言葉にすることで、改めて自分にも言い聞かせています。
思い込みを変えるのは難しい。けれど、変えようとしなければなにも変わらないんです。

どうして自分はこうなんだろう、と思ってしまうあなたの、心の本当の気持ちに気が付くきっかけになれたら幸いです。


(次回へ続く)

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