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物事を複雑にする理由

私はよく記事の中で、政治経済システムをはじめ、いろいろなことが複雑すぎることを言っています。簡単にできることであれば簡単な方がいいと私は常に思っているからです。しかもそう思うのは私だけではないはずだとも思っています。しかし実際はそうではなく、複雑化していく…何故だろう?思い当たることを並べてみました。

①複雑にすることで能力を自慢したい

これは低レベルな話ですが、複雑にすることで能力を自慢したいというのが挙げられます。バカにはわからないでしょ?と言わんばかりにこんなに難しいことを作ったんだというような自慢です。私はその複雑なことが簡単に導かれる方が凄いと思うのですが…

②複雑にすることでわかりにくくしたい

わかってもらっては困るというようなときに、あえて難しく複雑にすることでわかりにくくするというようなことが挙げられます。正体がわかりにくく、それ故焦点を当てにくくなるし、論じにくくもなります。つまり「バカは黙ってて」というか、それらを避けるためです。政治経済に関し、これが結構あるのではないかと考えられます。

③複雑にすることで仕事(無駄)を増やしたい

複雑にすることで仕事を増やしたいなんてこと、ナンセンスだと思うのですが、実際いろいろな場面で感じることがあります。それは結果、無駄を増やしているに過ぎません。仕事上で言えば、それによって雇用が生み出されることもありますが、だとしたら、私はもっと別の有意義なことに使用できる雇用を増やせばいいと思ってしまいます。
これについては結構行政にあると思っています。また一般企業もそういう面があるかもしれません。仕事を増やす=無駄が増えることが普通に営まれていませんか?

④結果として複雑になってしまったこと

これは難しい問題で、元になるモノコトが時代の変化や社会の潮流に対応するために解釈や付け足し等で結果複雑になってしまったというようなことです。恐らくその原因は元になるモノコトへの執着が原因なのではないかと考えられると思います。「執着」を感じてしまうと、そこから抜け出しにくく、そうなると元のモノコトを変えてしまうよりははるかに楽で、賛同も得られやすい。これについては法律がそうであったりすると思います。

私達はいろいろな複雑なモノコトに囲まれて生きています。いろんな法律や社会システムの中で生きているのは間違いないけれど、そのどれもを享受するには複雑すぎて、ほんの一部、いやどれだけの人が全てのモノコトがわかっているというのだろう?相当頭脳明晰でなければ無理じゃないですか?頭脳明晰な者しかわからないのであれば、私達庶民には縁遠くなってしまう。実はこの「複雑さ」が日本の発展繁栄を阻害しているのではないかと思う時があります。つまり余計なことに考えや行動をさせられていて、もっと有意義なことに時間を費やせなくさせられているということです。

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