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日本文化の特性の再確認-「近代の藝術論」に学ぶ

日本文化の特性の再確認-「近代の藝術論」に学ぶ 

本稿では「近代の藝術論 / 山崎正和責任編集」で山崎先生が描写されている西洋近代の様々な芸術観-人間観の文章をヒントに、それと比較対照することで江戸時代などの日本文化の芸術観-人間観の特性が見えてくることを示したいと思います。

※「近代の藝術論」の文章は「日本文化の特色を浮き彫りにするため」に、「ヒント」として使わせて頂いております。文章、文脈を前後してあれこれ引用させていただいておりますこと、ご容赦いただければ幸いです。

●カントの「想像力」と芭蕉「三冊子」の「もののひかりを見る」
わたしたち人間は、普段はものごとを概念的な意味だけ読み取り生活しています。
『p41日常の私たちはあまりにもひとつひとつの体験をないがしろにしており、いわばあらゆる体験を行動の概念的な目的の奴隷と化しているからである。文字通り、「鹿を追う者、山を見ず」というのが私たちの日常であって、私たちは町を歩きながら路上の信号燈すら満足には見ていないといえる
のです。
信号を見るときも、友人や家族の表情を見るときも、反射的に「意味」を読んでいるだけの私たちですが、その中で『藝術家は、何よりもものを見るために見る人間であり、体験するために体験する人間』なのです。

山崎先生はイマヌエル・カントの概念「想像力」について説明されます。カントの言う「想像力」とは、普段は概念を作りイメージを知的に整理する機能ですが
『p30カントはそういう「想像力」がときに悟性の支配から自由になり、いわば見るためにものを見るようになる可能性を認めるのであって、そのとき人間の眼には美しいものが見えるのだというのである。彼によれば、美しさというものは外にある事物の性質ではなく、ものを見る人間の精神態度の切換えから生じてくる感情である。想像力が悟性から自由になり、人間のすべての精神能力がいきいきと働き始めたとき、その解放の快さが私たちに美しさとして感じられるのだという』のです。

カントに対照させて頂くものとして、松尾芭蕉門下の服部土芳の「三冊子」にある俳句を詠む際の心得を引用させていただきます。
 
『「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と師の詞のありしも、私意をはなれよといふ事なり。この習へといふ所を己がままにとりて、終に習はざるなり。習へといふは、物に入りて、その微の顕れて情感ずるや、句と成る所なり。たとへ物あらはにいひ出でても、その物より自然に出づる情にあらざれば、物と我二つになりて、その情誠に至らず。私意のなす作意なり。』
 
芭蕉の言葉を踏まえたこの文章では自分の眼・意識による勝手な推量から離れる必要性を説いています。目の前の対象に対峙し没入するそのとき自分と対象が一つになり対象の微-本質が顕わになり、自ずから情感が興り句となる…といった内容でしょうか。
ここで、
『塩鯛の歯ぐきも寒し魚の棚』『葱白く洗ひたてたる寒さかな』
芭蕉の二つの句を例にこの「三冊子」の心得を読み解きます。

上図の黒い人影は私意に囚われ勝手な推量で対象を見てしまう通常の意識状態を示します。彼の眼には対象の灰色の外面しか見えておらず「腥い魚の棚」「洗いたての葱」は「美」と程遠いものにしか見えません。しかし修行した後のピンクの人影の意識状態では詩的情景、美的内容としての観照が成立しその炎(美)が見えています。
ピンクの人影の意識状態では前掲の二句が「D表現」になっているのです。https://note.com/nihonos2020/n/n503827d4966c

修行を通して、私意を離れ対象に対峙し没入し、対象の微-本質を見られる意識状態になると、ものの本質(炎)が顕わになり自ずから情感が興り句となることを先に紹介させていただきました。 

カントの「想像力」と芭蕉「三冊子」の「もののひかりを見る」
カントの『想像力が悟性から自由になり、人間のすべての精神能力がいきいきと働き始めた』状態と
芭蕉「三冊子」の『自分と対象が一つになり対象の微-本質が顕わになり』の状態は似ているところがあります。
しかし、カントは哲学者として「神」の介在をまったく必要としないところで「想像力」を議論していると思われますが、
芭蕉の俳諧の世界では、言外に『自然-天地、森羅万象に対する宗教心』のようなものが働いていると思うのです。 

先に https://note.com/nihonos2020/n/n62fcd4aa4696

において大野晋先生「日本語の年輪」より
『だいたい日本人の尊敬の意識は、自然に対する恐怖、畏怖にはじまり、神や天皇に対する畏敬に移り、人間に対する尊敬の念に発展した・・・。畏怖は大自然の暴風雨・地震などに対するものが、その最大のものであったろう。日本人は、その自然を、人間の力で左右しようなどとは考えず、ひたすらその自然の威力、霊力の前にかしこまった。それほど「おそれ多いもの」と考えていた。』
と引用させていただきました。


芭蕉の時代、人間は自然の神霊にひれ伏すばかりの存在ではありませんでしたが、それでも自然神霊に対する宗教心に近いものはあったと思われます。
芭蕉は「造化」という言葉を使いました。「造化」は単なるモノとしての自然ではなく、天地の森羅万象、すべてを含み活かし動かしている働きまで含むものです。

カントの言葉と対照して見ることで、改めて
『芭蕉における「見る」ということは哲学ではなく宗教的な営為、祈りなどに近い行為である』ように感じられるのです。そしてこのことは芭蕉に限らず、広く日本文化全般においても言えることなのではないでしょうか。 
カント-西洋近代の人たちが「モノ」の中で生きていることと比して、
日本人は「造化」の中で育ち暮らしているのです。
日本人は、あまりにも当たり前にその中に生きているために、「モノ」ではなく「造化」を相手にしていることを見落としがちなのではないか。

カントの説明に触れ、改めてそのように感じられたのでした。

●「西洋の藝術における解放感と根源的な不安」-日本文化においてはどうか
カントの言うような芸術家の『想像力が悟性から自由になり、人間のすべての精神能力がいきいきと働き始めた』状態においては、

『p41私たちのこういう日常の態度を逆転させ、意味と目的を離れて、ものを見るために見ることは人間にとってひとつの革命だとさえいえる。私たちの体験は薄皮をはがれたように新鮮に見え、精神は日頃使われていない部分が活躍することによって解放の快感を味わうことであろう。けれども、その反面、私たちはそれによってまさに「意味のない」世界に直面することになるのであって、これは人間にとって深い不安の原因にもなるはずである。』と山崎先生は記されています。

さて、日本文化で「見る」ときに「意味のない」世界、深い不安に直面するのでしょうか。
千利休や芭蕉に関わる逸話を見るとき、彼らに峻烈さ、厳しさ、そして前人未踏の領域に進む孤独は強く感じられます。一方で、「意味のない」世界、「深い不安」の印象からは・・・遠いのではないでしょうか。

これまで見たところでは https://note.com/nihonos2020/n/n503827d4966c

千利休や芭蕉、また日本の芸道などは総じて「D表現-宗教ではない表現だが、宗教に近いような深い感動や崇高さに近い感情=D感情を惹き起こす」ものでありました。


日本の芸道における表現とは、宗教表現では無いながらも宗教感情に近いようなD感情を喚起するものであり、「神」の介在がまったくないところで「想像力」が発揮されている状態(カント)とは状況が異なると思われます。

言い換えると日本の芸道における表現には、「祈り」に近いものがあるように感じられるのです。

悟性から自由になりまったく新しい「創造」を生み出すというより、
日本文化には、無意識のうちに「神霊に届き-受け入れられる-神霊も喜ぶような祈りを創造-発信しているような一面がある」
のではないか。

「意味のない」「深い不安」な営為は、そもそも、日本文化では遠い、神霊に届き受け入れられる祈りになり得ない・・・そのように感じられるのです。

 
なお『想像力が悟性から自由になり、人間のすべての精神能力がいきいきと働き始め』『精神は日頃使われていない部分が活躍することによって解放の快感を味わう
ことについてはどうでしょうか。
以下の日本の芸術の歴史で雪舟以降の山水画の箇所で

山水画においては4つの特性があったことを示しました。
 1  自然から自立した強い自己   
 2  無心-神霊の相対化  
 3  生々しく心理侵襲的ではない自然-世界  
 4  自然-神霊を描く表現の型・禁欲・抑制

上記4の「型・禁欲・抑制」は千利休の茶道、芭蕉の俳諧などにも見ることができ、形を変えて浮世絵などにも確認できました。
そもそも、和歌の源流は神的なものに呼び掛ける特殊なことばであり「五七五七七」というリズム-型をもっておりこの型は連歌や俳諧にも継承されています。
日本の古典芸能、古典文化を西洋の近代芸術と比べるなら、「文化の型や伝統」を重んじ、また「世阿弥や千利休や芭蕉など芸道の始祖とも呼べる人たちの言動を尊重する傾向」も強いと思われます。

日本の古典文化では文化の型、プロトコルを大事にしているようです。
日本の古典文化は「精神の自由・解放」を目指す営為というより「祈り讃え鎮めること・儀式」に似た営為である
ように感じるのです。

  

●西洋では『藝術家の表現とは自己認識であり自己創造』-日本文化ではどうか

p34には『藝術家の表現とは彼の自己認識なのであるが、それはいいかえれば、彼のみずから行なう自己創造の作業だともいえる。藝術家は想像力によってそのときどきに自己を作るのであり、みずから作った自己になるのであって、無意識のうちに自己であり続けることは許されない。想像力を停止した瞬間、彼の存在は消え失せるのであるから、藝術家であることは、たえず厳しい緊張を強いる不安な仕事だということができる。』とあります。

この西洋近代の藝術、芸術家に関する内容は、世阿弥や芭蕉のような日本における美の創造者にあてはまるように思われます。

山崎先生はコリングウッドの議論を紹介する中でp30
「人が何かのものを描くのはそのものを見るためだ」といい、「良い画家が事物を描くのは、良い画家なら誰しも同じことを言うだろうが、描いてしまうまではその事物がどんなものか判らないからなのだ」というのである(『藝術の原理』十四章)。』と記されています。

ここでは・・・これらの西洋近代の藝術に関する記述に対して、
日本文化の「芸術家や芸道を究めた営為」ではなく
日本文化の「二次的自然-D世界」を比較対照
してはと思うのです。

先に https://note.com/nihonos2020/n/n503827d4966c において示しましたが、
日本文化においては茶道-日常の所作はD表現、D感情に満ちたものになり、芭蕉の俳諧では俗なるもの-非苦哀傷までも風雅-D表現とD感情の関わるものになりました。浮世絵は各地の風景を名所絵-「名所」に描き、台所仕事のような普段の暮らしの営為を美人画はD表現で描きました。大名や商家などイエ組織の中の営為もD表現となりました。江戸時代、生きることの全方位に「D表現、D感情の拡大」が見られたのでした。 

西洋において「藝術家」の表現は、日常の人間行動とは一線を画した、自己認識であり自己創造であると讃えられたのに対し、

日本においては「二次的自然-D世界での所作」、生きることすべてに「なにか」-宗教的なもの、祈りに近いようなものが込められていたと感じられるのです。

日本では「自分」を前面に出し「自分を表現し創造する」というより、
なにものかへの「祈り」のようなものが届いたか否かが重要であったのではないか。そして
西洋において「ものを見るために芸術はある」とするならば、
日本の「二次的自然-D世界」においては、「仕事というものを知るために」仕事をする、「結婚というものを知るために」結婚をするような、
そんな気もするのです。  

「成る」と「する」
西洋近代の藝術家にとって藝術の創造は自己創造だったのでした。
江戸時代の日本の、松尾芭蕉にも葛飾北斎においても彼らの行為は自己創造であったと思います。

一方で、芭蕉の言葉、思想を伝えるとされている土芳の「三冊子(あかさうし)」の文章を見て下さい。
 
『句作りに、成ると、するとあり。内をつねに勤めて、物に応ずれば、その心の色句と成る。内をつねに勉めざるものは、成らざる故に、私意にかけてするなり。』
句を作るときに「成る」句と「する」句がある。自分の内心、精神をつねに修行し外界の物に対峙するとき、精神の感興(色)はおのずから句と「成る」のである。内心をつねに修行しないものはおのずから「成る」ことはならず、私意で「する」-作ることになるのである、といった意味でしょうか。 

さて、「成る」(なる)という言葉については、先に大野晋先生「日本語の年輪」を引用させて頂いた部分を再掲させて頂きます。 https://note.com/nihonos2020/n/nb895b6503e08 大野先生は、偉い人が到着することを「お着きになる」と敬語で言う際の「なる」について、

『「なる」というのは、「木の実がなる」、「寒くなる」という例でわかるように、自然にものが移って行って、ある状態に至ること。「木の実がなる」というのも、自然に、木が実を結ぶことをいう。すると、「お着きになる」とは、「着く」状態に敬意をこめて言った「お着き」という言葉と、その「お着き」という状態に自然に「なる」と表現したのが、そのもとの意味であるということになる。』

と説明されていました。このような敬語の前提には先に上げました「自然に対する恐怖、畏怖」の意識があり、

『「自然」のすることは、人間がもっぱら服従すべきものである。それゆえ、自分が今畏敬している人の行為を表現するには、その人の動作が、あたかも「自然」のするがごとくであるといえば、自分の服従の意志、畏敬の念を表現するに適切であった。また「自然」に出来上ったものであると表現することは、自分の意志が何も介入していないことを示すのであり、それは相手の意志のままであることを裏から表明しているわけで、これもまた、相手の行為を高く評価していることになる。それゆえ、自然に成立する意味をもつ「る」「らる」を添えることが尊敬の表現となる。』
と大野先生は記されています。 

芭蕉の成し遂げたことが自己創造でなかったはずはありません。
芭蕉においては自己創造とは「する」ものではなく「成る」ものでした。
自分の創造が「あたかも「自然」のするがごとく」であることを良しとするのです。
自分の創造においても、「自分が」といった私意を離れるのです。

芭蕉においては自己創造においても「自然に対する無意識の信仰」のような意識があり、自己創造も、自然の営みのように「成る」ものである。
自己創造も自然の営みを讃え真似るもの
なのです。

芭蕉において、そして大野先生の見る日本文化においては
創造とは私意を離れ自然を讃える「祈り」のような部分がある。
日本文化や美意識の底にはこのようなOS-OperationSystemが動いている
ように思います。

西洋の藝術論-文化論で、日本文化にも適合する内容は多々あるながら、その底ではこのような日本文化ならではのOS-OperationSystemが動いている。

「近代の藝術論」を読みこのように感じた次第です。

以上

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