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「関門"ノスタルジック"海峡」日本の近代化が残した風景とは?

日本遺産普及協会では定期的に日本遺産に認定されているストーリーの知識を深め、地域の取り組みについて知るための機会として「日本遺産勉強会」を開催しています。7月の勉強会テーマは、下関と門司をつなぐ海峡であり、日本の近代化の歴史が刻まれている山口県・福岡県の日本遺産「関門"ノスタルジック"海峡」でした。

今回は、下関市教育委員会(教育部文化財文化財保護課)の藤本有紀さんに関門海峡が日本遺産に登録されるまでのエピソードを含む日本遺産としての歴史と特色についてお話いただいただきました。その一部を要約してお届けします。

関門海峡について

関門海峡の日本遺産ストーリーの話に入る前に、まるで川のような狭い海峡である関門海峡についてお話いただきました。

「山口県の下関市と福岡県の北九州市を結ぶのが関門海峡です。狭い海峡であり、対岸までは5分ほどかかります。下関市にある重要文化財である旧下関英国領事館から、対岸の九州の山が見えるほど近いです。この近さをぜひ体感していただきたいです。」


旧下関英国英国領事館から見た対岸の九州の山

関門"ノスタルジック"海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~


日本遺産ストーリーとしての関門海峡のポイントとなるのが、関門"ノスタルジック"海峡の概要に登場する以下の要素です。

  • 幕末の下関戦争の契機

  • 双子の様式灯台

  • 重厚な近代建築

  • 海底トンネル

  • ノスタルジックな街並み

それぞれについてお話をしていただきました。

幕末の下関戦争の契機

「古い時代から交通の要所であった関門海峡は、幕末に黒船の危険な侵入を防ぐために長州藩が封鎖し、攘夷を決行しました。これをきっかけに起こった戦争が下関戦争です。結果的に、長州藩は敗北し、関門海峡は通行可能となりました。外国船の水・燃料・食料の補給港としての役割を果たしたため、事実上開港しました。この過程で外国文化がこの港から入ってきました。」

双子の洋式灯台

「双子灯台と呼ばれる六連島灯台と部埼灯台は、下関戦争の賠償金を受け持った江戸幕府が兵庫港(現神戸港)の開港に備えてイギリスと建設を約定した5基の灯台のうちの2基です。日本灯台の父と呼ばれるR.H・ブラントンが建設指導をしました。」

重厚な近代建築

「開港に導かれるように、地域の近代化がどんどん進みました。国際港湾都市として発展した下関と門司港に金融、財閥系商社、公官庁が進出し、それらを象徴するように近代建築が急速に建設されました。」

海底トンネル

「1942年に関門鉄道トンネル(関門隧道下り線)ができ、以降も関門トンネル(国道2号)や関門橋など両岸をつなぐ多様な交通網が整備されました。これにより、関門地域は通過都市となり、それまでこの地で活躍していた企業や団体はより大規模な港を持つ博多などに移転したため、近代建築が残る現在の関門海峡の景観が出来上がりました。」

ノスタルジックな街並み

「通過都市になってしまったことで都市の活気は少し寂しいものとなってしまったものの、それがレトロな近代建築を残したノスタルジックな街並みを形成しています。現在はその景観を観光事業に役立てています。」

ストーリーにまつわる海峡両岸のトリビア


日本遺産のストーリーとしての関門海峡に直接携わっている藤本さんだからこそ知る、海峡にまつわる4つのトリビアを紹介していただきました。ここではそのうちのひとつを共有します。

双子灯台のトリビア

「双子灯台の初点灯を記念したプレートが残っています。六連島灯台が明治4年、部埼灯台は明治5年と書かれていますが、上部の西暦にはともに1872年と書かれています。これは、日本が明治7年に太陰暦から太陽暦へ改暦しているためです。西暦上では2か月の差がある双子灯台の初点灯は和暦上異なる年となってしまったのです。」

【お知らせ】日本遺産フェスティバルin極上の会津


「全国の日本遺産が集うイベントである日本遺産フェスティバルが、今年は福島県の会津で開催されます。私たち「関門"ノスタルジック"海峡」もこちらに参加いたします。ぜひこちらへ遊びに来てください!」

(おまけ)関門海峡の認定までの流れ


日本遺産が認定されるまでには各自治体による多くの努力が裏にあります。今回は、関門海峡が認定されるまでに試行錯誤した道のりについて藤本さんが簡単に振り返ってくださりました。

「『分かりやすくキャッチ―なタイトル』を文化庁へ提出するにあたり、何十通りのタイトルを考え、試行錯誤した末に『関門"ノスタルジック"海峡』へ行きつきました。」

「日本遺産のストーリー本文をA4二枚で執筆したのですが、これも何度も書き直しました。改定している過程で指摘されたのは、『ただの事実の羅列ではなく、そこへ行ったことがないような予備知識のない人でも共感ができるわかりやすい物語にする』というリーダビリティが重要な要素として求められました。このように、各日本遺産は私たちのように推敲に推敲を重ねて本文を作っているはずです。日本遺産に近づくためには、まずこの本文を読んでほしいですね。」

日本遺産を構成するひとつひとつの文章は、自治体によるプロモーションに修正を重ねた集大成であるといえます。本文やひとつひとつの文章をまず熟読することが日本遺産に対する各自治体の思いを感じ取るための一番の近道かもしれませんね。

関門海峡は、江戸から明治にかけての日本の大きな転換期の影響を大きく受けた地であり、その名残が景観として色濃く残っています。魅力の詰まった"ノスタルジック"な関門海峡、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

協力:下関市教育委員会(教育部文化財文化財保護課)レポート:日本遺産普及協会

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