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「コロンブス」MVについて思うこと

Xでだいぶ話題になり、今や世界中でニュースになったMRS. GREENAPPLEの新MV「コロンブス」を話題になった当初から追うことができました。Xでの様々な批判的なポストを見たのが最初。ネットにアクセスできれば誰でも意見が言えるのがSNSであり、話題のものはかなり尾ヒレがつくこともしばしばあるので「ええ、本当に?そんなに酷いの?」と思いながら公式が取り下げる前にMVを見ることができました。動画を開いて最初の20秒に以内で「ヒィイイイイ!」と声を出しました。「うわぁ、、やっちまってるなぁ」という客観性羞恥心からくる笑いが出ながら、まるで建てたばっかりのビルが崩壊していく様を観ているような内容でした。

コロンブス、ナポレオン、ベートーベンらしき歴史的人物に扮するメンバー三人が初めて赴く地で発見する猿たち。そこで三人は猿たちを働かせながら文化を教えるといったもの。サタデー・ナイト・ライブの風刺コントかと思うくらいドンピシャの差別的表現に唖然としました。

MVは公開から17時間ほどで取り下げられ、公式から正式な文章が発表されました。

公開後からたったの17時間で非公開になることから伺えるのが、MVを見た人々が如何に早く動画の差別表現を感じ取ったかかと思います。Mrs. Green Appleのファンの一部も声を上げているコメントも見ました。これが10年前だったらこのようにはいかなかったので、社会としては進歩している(もしくは可視化が進んでいる)なぁとホッとしました。

一方で、今回の件は私が生活していて感じる日本の差別意識や加害性の特徴をとてもよく捉えているとも感じました。どういうものかというと「「楽しいや面白い」を盾にする差別」です。

例えば、上記の大森氏のコメントの「類人猿が登場することに関しては、差別的な表現に見えてしまう恐れがあるという懸念を当初から感じておりましたが、類人猿を人に見立てたなどの意図は全く無く、ただただ年代の異なる生命がホームパーティーをするというイメージをしておりました」の部分。最初から差別的なシンボルになりそうなものを何故そのまま起用したのか?その後の「悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図がありませんでしたが」と言っているということは、コロンブスの歴史を知っていたのではないか?とツッコミを入れたくなります。

その前置きがあった上で「前向きにワクワクできる映像にしたいという気持ち」や「時間の垣根を越えてホームパーティーをする」といった発言が、私にとっては文脈を考えずに楽しそうな、または楽しい演出であれば許されると思っている様に感じとります。

「昔大変なことがあった?そんなの関係ねぇよ!今を楽しもうぜ!」という、共感性を排除することが原因で生まれる無慈悲な差別は日本でよく見ます。「RATS AND STARの黒塗りは黒人に対するリスペクトから来ているのであって、差別意識はない」と言いながら、黒人を侮辱する様な表現をしてきたミンストレルの歴史を持つ人々の文脈と感情を無視するのも同じだと思います。他にも、1930年代辺りのアメリカのカートゥーンにあった黒人に対する差別的な表現をそのままアニメに取り込んでしまっている表現なんかもあります。

今回、Mrs. Green Appleはおそらく本当に悪気はなかったと思います。厳しいことを言うと、上記の声明を出した時点でももしかしたら問題の本質には気づいていないのかと思います。ただこれは決してこのバンドや大森氏だけの問題ではなく、業界全体の問題でもあると感じます。昨今インティマシー・コーディネーターを起用し出している様に、歴史的文脈などについて考える機会をもっと増やすべきではないでしょうか?

今回に関して、他にも日本が過去にしてきた侵略を認められていない部分が社会にあることが垣間見えたこと、そしてそれは日本だけの問題ではなく世界各国の問題でもあることなど、言いたいことがたくさんあるんですが、今回はこの辺で。これを書くにあたって心の中にずっとあったものを初めて言葉にしたので、うまくまとまっていなかったらごめんなさい。そして最後に、Mrs. Green Appleのみなさまにはここで大きな学びを得て、未来に活かしてほしいと思っています。

(有料)パトレオンNEWSLETTER掲載記事

NEWLETTER #50


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