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「ネイティブ信仰」を捨て、コミュ力重視の教育を

私は携帯電話が嫌い。
大抵普段は電源が落ちている。(放置されていて)
運転はよくするので、高速道路で立ち往生したらどうするんだ!と夫に持たされている。
だから、いわゆる「ガラケー」である。

学生の頃、みんながPHSを持っていたときも、抵抗してがんばっていたけど、添乗の仕事を始めて、やむなく入手した。
そのあとドイツで旅行業に携わっているときは、緊急用に携帯を持たされていて、365日24時間対応だったので、ホント嫌気がさした。
元々嫌いだったのに、拍車がかかった。

家にいるときは大きなモニタにつないだデスクトップ!
快適だ。ノートPCも好きじゃない。
旅先にはタブレットを持っていっていたが、壊してしまって、次の旅行のときには、夫の古いスマートフォンを借りていった。
なかなか便利だったけど、中毒になる自信あり!
同じネット漬けなら、大型モニタの方が姿勢や目にはいい・・・

ところが夫のお古もこの春壊れてしまい、日本で初めて自分用にスマートフォンを購入した。
SIMカードは入れておらず、小さなタブレット扱いだ。
便利だけど、これがなければ私の1日は1,2時間長かっただろう(ゲームをしてる・・・)と思う。
絶対にSIMは入れない。(出かけた先でもやるから)

さて、前置きが長くなったが、そのスマートフォンでブラウザを開けると、コラム的なニュースがよく出てくる。
面白いものもあるので、タイトルだけでちらっと見たり、場合によっては中身も読んだりする。

しかし、その中で毎回いらっとさせられるものがあった。
「〇〇〇って英語では----?」というようなクイズだ。

正解は「see」だったけど、別にunderstandでもいいし、「OK」とかでもいいじゃん


言語というのは、その言い回ししかない!ということは絶対にない。
むしろ日本語のように表現が豊かな言葉は、ああもこうも言えて、話し手や読み手や状況によって、さまざまに使い分けられる。

それを、その1つしか正解がないような誘導がいやなのだ。
Youtubeでも「〇〇を---って言ってませんか?! ネイティブによると・・・」みたいなものは多い。
「失礼に聞こえる」とかって論調もあるけど、そのレベルに達した人ならすでにたくさん収集して、こういうときはこうだなってサンプルいっぱい持ってるはず。
だから、それは初級者対象の動画でしょ?
そのレベルになる前に考えなくていいよ。

そのスマホブラウザの誘導で出てきたニューズウィークの記事がその私のいらつきを語ってくれていた。


日本人は英語というとアメリカ英語だと思っているけど、ドイツに来てみれば、むしろ主流はブリティッシュイングリッシュ。
しかし、学校によっては1年おきに英語と米語を交替したり、わざわざ米語を学ぶ期間を設けたりしている。
次女もスペイン語選択なので、スペインではこう、南米ではこう、という説明があることも多いようだ。
(その点長女のフランス語ではそういうのはないのかな。
フランス語は差異がないのか、母国フランス語至上主義なのか!)

私がドイツ語のテストを受けたときも、ヒアリングはわざわざ標準ドイツ語の他、スイス訛り、オーストリア訛りも含まれていて、授業でも対策をしたものだ。
さすが欧州は複数言語学習国!
言語も1つじゃないことをよく分かっている!


だから「英語で〇〇は---?」というスタイルのクイズはバカバカしいと思う。
せめて解説でこれもこれもこれもOKというならまだしも、1つしか正解じゃないような言い方が変だ。

しかし、私が学生のころは、学校の授業もそういうものだった。
中学校の定期テストの翻訳の問題で、なるべく日本語らしい日本語で書いたら、「a」を「1つの」と訳さなかったので減点された。
でも、誰が友達に「私は昨日1つのりんごを食べた」という?!
私の訳は「昨日、りんご食べたんだよねー」とかそういう感じw

逆に日本語から訳すのに、「I ate apple yesterday.」と書いて、「an」がないと減点されるのは、まあしょうがないとしても!
それでも、「昔はりんごをよく食べたもんだ」みたいなときなら、冠詞つけないよね?
ドイツ語はそうだけど。

英語教育は早期化しているし、アシスタントティーチャーとかも大分普及していると思うけど、多分基本的な考えは変わらないと思う。
その教育自体が「間違ったらいけない!」だから、「英語で話すのが怖い!」という原因になっているんじゃないか。

英語にしろ何にしろ、語学は所詮ツールだ。
ツールが使えるなら、方法はどうだっていい。
お金払って通訳雇ったって、AI翻訳/通訳を使ったって、身振り手振りだっていい。
でも、お金や機械がなかったら、自分でがんばるしかないんだから、その基本として勉強しておくにこしたことはないと思う。

勉強はするけど、テストの方式を思い切って変えてはどうか。
ペーパー試験は廃止。
せっかくいるんだから、アシスタントティーチャーに試験官になってもらっての口頭試問。

例えばその期の授業で「過去形」を習ったのなら、過去形の日本語の文を10とか用意しておく。
試験用の部屋に行き、その場でその文を見て試験官に伝える。
伝わったら10点、伝わらなかったら0点という感じ。
もちろんちゃんと勉強していたら、習った通りに言えるだろうから、100点だって取れるだろう。

でも、普通のコミュニケーションで、相手が言葉に詰まっていたら、普通助け船を出すものだ。
「りんご」という言葉が出てこなければ、「ほら、赤い果物で(ジェスチャーでガリっとかじる様子)」と言えば、試験官は「Apple?」と言うだろう。
ゼロから助ける必要はないけど、これでコミュニケーションできるんだから、10点あげればいいと思う。

この方法なら、普段からなんとかかんとか頑張って言い換えよう、伝えようという態度で学習するんじゃないだろうか。
母語だったら普段からそうしているのに、外国語になると急に「正解はこれしかない!」と言われるのがおかしい。

過去形くらいなら、動詞が現在形eatのまま「昨日」といえば、相手も「食べた?のかな?」と推測してくれるだろうけど、学習が進んでいき、仮定法とかになったら、さすがに言い換えはちょっと難しくなる。
難しいけど、身振り手振りといくつかの単語で伝えられるのであれば、もうそれはそれでいいじゃないか!
それも才能だ!!

ハンガリーで英語のできない日本のオバサマ方が、英語のできない売り子さんから「もう1つ買うからいくらいくらにして!」と値切ったら、お店の人が「じゃあ5つでいくらいくらなら」と言って、買ったのよ~と話しているのを聞いたことがある。
コミュニケーションというのは、簡単であればそれでも成立するんだから、プラスいくつかの単語や文法があったら、もっと広がるだろう。

頭を柔軟にできるこの口頭試問、日本の外国語教育にぜひ取り入れてほしい!

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