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「日本画教室は静か」は本当か?日本画材で無我の境地へ【極私的考察】

日本画材、と聞いてそのビジュアルをイメージできる人はそう多くない。実際、日本に生まれ育っても日本画材を見ることはあんまりないのだ。
私は、日本画専攻で大学に入ったものの、日本画材を実際に手にしたのは最初の授業の時でした。遅。

<目次>
1. 自然とのコンタクトを助ける媒体、それが日本画材
2. 日本画の精神性といえば?そう!「自然との融合」
3. 日本画材に触れる時、人の心に何が起こるのか?

今回の【極私的考察】は、「日本画教室は静か」は本当か?日本画材で無我の境地へというタイトルです。

私なりの切り口で、日本画材の心理的特性、つまり「日本画材に触れる時、人の心に何が起こるのか」について書きます。わおー、大胆。

なお技術的な日本画材の説明や、分かりやすい写真は、餅は餅屋、画材屋さんのHPを見ていただくのがいいと思う。
・私もお世話になっている日本画材「吉祥」さんの
http://www.kissho-nihonga.co.jp
・店舗が洗練されていて、外国人旅行者のお客さんも多い「PIGMENT」さん
https://pigment.tokyo/ja/


過去の【極私的考察】シリーズはこちらです。


1. 自然とのコンタクトを助ける媒体、それが日本画材

結論から言うと、とにかく「日本画材は、自然物由来なんだ。」ってこと。
まずは、とにかくこの一覧をご覧ください。

<日本画で使用する主な画材・道具とその主原料>
岩絵具… 岩石、鉱石、土、虫、植物
胡粉… 牡蠣や蛤の貝殻
水簸(すいひ)絵具… 胡粉に色をつけた絵具
箔… 金属
膠… 魚や獣の皮
ドーサ液… 膠・明礬に水を加えた液
筆… 獣の毛、木
墨・硯… 松などの炭、石
和紙(雲肌麻紙など)… 楮などの木の繊維
パネル… 木
絵皿・乳鉢・乳棒… 磁器用土
落款・印泥… 石

ざっと目を通すとお気づきでしょうか、全て元から自然界にある原料になっているのです。シンプル!

そう、日本画材の特徴は、日本画材は自然物由来!!
もう一回言います、日本画材は自然物由来!!

ただし現在は、科学の発達や、原料価格の高騰に伴い、人工的に作成されるものもあります。岩絵具なんて、原料がラピスラズリだったりしますので。宝石砕いて、絵の具にするって、贅沢の極み。


教育現場への水簸(すいひ)絵具の導入をした中学校教師の方は、こんな指摘をしています。

日本画材は自然物由来で生成されるため「効果として素材そのものの質に意識が向くこと、さらにプリミティブな原料に土地との連続性を実感できる利点がある」(注1)。

どういうことかと言うと、日本画で使用する絵具は、指で練って使うんです。
絵具と聞いて思い浮かぶようなチューブではなく、ただの粒子なんですね。色の付いたさらっさらの細かーい砂を想像してください。

なので、絵具を使用しようとする時には、
その粒子をすり鉢で擦って細かくしたり、
膠というグルーの役割を果たす液体と指で練って、
それから水でとく、という作業があります。

そんな風に指で直に触れながら、自分のためだけの絵具を用意する時間が発生する。その接触のプロセスによって、「素材そのもののの質に意識が向く」んです。

その「質」というのは「プリミティブな原料」であり、「土地の連続性を実感できる」特性ですね。
つまり、土、海、山、といった土地や自然から採れた原料であるがゆえに、日本画材を使用するプロセスは、自然とのコンタクトを助ける媒体となりうる訳です。


「それは分かったけどさ〜、昔の時代は科学技術なかったから、世界各国の美術表現ってゼンブ自然物由来だったんじゃないの?日本画だけじゃなくない?」

おっしゃるトーリ!

「画材が自然物由来である」ことと、「日本画の精神性」がマッチングした時に、日本画材独自の心理的特性が発生すると個人的には考えています。


2. 日本画の精神性といえば?そう、「自然との融合」

はい、ここでもう一度紹介させてください。仏教美術史学者である林良一のこの言葉です。

日本の美術の特色として「自然との融合」を挙げ、
「自然に包まれるような境遇で、自らを自然と一体のものと感じていた。そこで、日本の美術もまた、自然を範とし、自然と融合する造形に終始するのが、伝統的な方法」となった。(注2)

さらに、同様の論点について東京女子大学名誉教授の比較文学者 大久保喬樹は、以下の言葉で表しています。


自然との一体化を土台とする無我の境地 (注3)

日本の美は、「自然との融合」=「自らを自然と一体のもの」とする。
さらに、その目指す境地は「自然との一体化を土台とする無我の境地」だったのです。

日本の美の精神は、絵を描くことを着地点にはしていなかった。


「無我」ということは、もはや自分は無くていい、自然に溶け込んで、いっそ神の一部になってしまいたい。ということですかね。


無になる、という言葉があるように、自分という個人の人間の枠を取っ払った時、見えてくる大観や真理がある。
その「神の視点」ともいうべき境地に近づくため、自然との一体化を通して、精神の鍛錬をしていた。と仮定できるのではないでしょうか。

…こう考えると、全てが一本の線で繋がってくる感じがしませんか?!私だけ?!


3. 日本画材に触れる時、人の心に何が起こるのか?

昔むかし「日本は古来から自然崇拝(アニミズム)の信仰」(注4)の国でありました。自然の中に八百万の神を見出し、信仰の対象としてきた歴史があります。

その歴史の中で、自然を崇めるだけではなく、自然に自分を同一化させることで、精神的な居所を見出そうとした当時の日本の人々。

そして、その文化的価値観が、美術にも同期されたのです。絵画という美術分野が発展していく時に、その神である自然物を原料に、日本画材が生まれました。

ある文化の中で、後世に残るということは、何かしらその文化の精神にフィットしているということだと私は理解しています。
プリミティブな日本画材が、「自然との融合」の精神性と合致しているからこそ、日本の伝統的な美術様式として伝承されていったのですね。


私は無宗教ですし、神という言葉と使うのはためらわれるのですが、日本画材はなんたってもとは神様=自然ですから、私は扱う時、ちょっと正座したくなるような気持ちになっちゃいます。
好き勝手に乱暴にはできなくて、自然という大いなる存在の尊厳を汚さぬように、使わせていただきます〜という思いが湧いてきます。

そうした心持ちで手を動かしていると、意図せずとも、スーッと心のざわめきが落ち着いて、深い集中の中で静かな時間が到来するのです。

検証したことがないのですが、この考察が的を得ていたら、日本画教室は他の画材を用いる絵画教室より静かな気がします。日本画教室のみなさま、実際いかがでしょうか?!

あ、日本画と共通する墨と和紙を使う、書道教室も静かですよね。(これは先生が静かに!って言うのもあるかな。私が通っていたところはそうだった…懐かしい)


すみません、やや脱線しましたが、こうした日本的な文化背景をもつ日本画材だからこそ、日本画材に触れるだけで「無我の境地」へ向かう助けになるのではないでしょうか。

まとめると、日本画材との接触というリアルな身体感覚を窓口として、
プリミティブな「土地との連続性を実感」し、
「自然との一体化を土台とする無我の境地」の体験へとつながると推測されます。

ここに、自然の中に自分自身を見出そうとする日本的な精神性と、自然物を原材料とした日本画材の繋がりが見て取れる。…と思うのです!!


なお、「日本画材に触れる時、人の心に何が起こるのか」についての考察は、まだまだ続きがあります。今回は、大前提の部分だけを書きました。
今回も【超私的考察】にお付き合い頂きましてありがとうございました。


<引用文献>
(注1)学苑初等教育学科紀要(2015), No.896, p.2-18, 早川 陽「日本画の水簸絵具とその美術教育における活用法に関する考察」

(注2)駒沢大学文化10,1987-03,p.73-107, 林良一「日本の美」

(注3)東京女子大学紀要論集(2015).65, (2), 大久保喬樹, 余白と座:日本的心性の展開 その三, 31-61

(注4)城一夫(2017). 日本の色のルーツを探して, パイインターナショナル, 東京


  

ありがとうございます。サポートは、日本画の心理的効果の研究に使わせていただきます。自然物由来の日本画材と、精神道の性質を備える日本画法。これらが融合した日本画はアートセラピーとなり得る、と言う仮説検証の為の研究です(まじめ)。