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「経済人間」と「人間の経済」…

   このツイートの主張は全く正しいのだが、“生きにくさを加速させ、公共性を切り縮める“のは、そもそも経済として正しいことなのだろうか?

  この辺りの答えは公共性、つまりは社会的共通資本の価値にこだわり、その経済的な必要性を説いた世界的経済学者・宇沢弘文先生の著作を読んで貰うのが一番なのだが、実は間違っているのだ。

   “生きにくさを加速させ、公共性を切り縮める“ことは、格差と貧困を拡大することと同義だし、数では最も多い経済的弱者が貧しくなれば、それは需要の減少にも繋がる。いくら生産効率を上げ、多くの商品やサービスを生み出しても買う人がいなければ、多くの人々に買うカネがなければ無意味だし、長い目で見れば、それは経済の持続性を奪うことに他ならないのだ。

   それでも  今の「経済人間」が宇沢先生の教えに背くように、“生きにくさを加速させ、公共性を切り縮める“ような愚を冒すのは、単に「目先の利益」を追っているから…。

  その象徴のようなものが「株価」だろう。

   当たり前だが、株価はいま現在の指標や材料によって形成されるもので、将来性は必ずしも担保していない。

  例えば、従業員を大幅にリストラして固定費を減らせば目の前の決算発表の数字は大幅に改善されるし、株価が上がるのは確実。勿論、長い目で見れば企業にとって最も重要な戦力である人材を大幅に減らすことが逆にその企業の将来性や成長を阻害することは言うまでもない。

   それどころか、もし多くの企業が同じようにリストラを進めれば、最初にもいった“生きにくさを加速させ、公共性を切り縮める“ことにしかならないし、雇用も需要も無くなって、景気は悪化。やがては企業の業績までも落ち込むのは必然だろう。それでもリストラをすればいま現在の「株価」は必ず上がる。だから、リストラをする、リストラを歓迎する…これが目先の利益だけを追う経営者や株主、投資家、今の「経済人間」の考え方なのだ。

   さらに、今の「経済人間」には、こんな問題まである。

   こういうツイートもしたが、実は目先の利益だけを追う経営者や株主、投資家といった今の「経済人間」だけではなく、私たち一般庶民までもが単に目先の利益を追っただけの指標に過ぎない「株価」が高いことをいいことだと思っているのだ。

 「株価」が高いということは、実際は上で言ったようなリストラが行われたり、会社の利益を従業員の賃金ではなく、株主への配当や自社株買いに回した結果に過ぎない。

 

  上のグラフを見れば、一目瞭然だが、アベノミクスで「株価」が上がるのに反比例するように、企業で働く一般庶民の給料、「実質賃金」が下がっているのが判る筈。

  それもその筈で、下のグラフで明らかなように企業は利益を賃金ではなく株主への配当により多く回すようになったからこそ「株価」も上がったのだし、それに連れて従業員に回す金額「労働分配率」が低下。一般庶民の賃金が実質的に下がったということなのだ。

   つまり、「株価」が高いことは、今の目先の利益だけを追う経営者や株主、投資家など今の「経済人間」のメリットでしかないし、彼らが企業で働く従業員や一般庶民を犠牲にして、   “生きにくさを加速させ、公共性を切り縮めた”結果に過ぎないのだ。

   ストックオプションや配当も含めて株で殆どの収入を得ている経営者や株主、投資家などを除けば、「株価」が高いことは歓迎するようなことではなく、逆に排すべきことだし、「株価」が高いことが消費拡大や景気上昇にも繋がっていないのは明らか。

それもその筈で、日本で投資信託や株を持っている人の割合はたった21%。この人たちは「株価」が上がることで幾ばくかの利益は得るかもだが、その他の79%の国民には全く無関係。米国のように株式を保有している世帯が50%を超え、国民の多くが投資信託などの金融資産や年金を株価に関連したカタチで持っている国とは違って当然なのだ。

   いずれにしても「株価」に象徴されるような『今だけ・カネだけ・自分だけ』で、目先の利益だけを追う経営者や株主、投資家など今の「経済人間」のやり方は経済としても間違っているし、本当の経済は公共性と持続性をもった「人間の経済」であるべきなのは忘れてはならないだろう。

※Photo by PIXTA

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