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「反緊縮」、そして山本太郎はなぜ叩かれるのか

 山本太郎は「消費税廃止」、最低でも「消費税5%への減税」を野党の共通した選挙公約にしよう、と訴えている訳だが、それが功を奏しているとは決して言えない。共産党とは一応の一致を見たものの、立憲民主党など他の野党からはけんもほろろの状態と言っていい。
そもそも消費税廃止に象徴される彼の「反緊縮」政策も欧米などとは違って、広まりを見せたり、理解が広がっているとは言い難い。

  この前もたまたま同じ日に、こんな記事を見かけた。

 高野孟氏は終始一貫して安倍政権には批判的な立場だし、もう一人の筆者も社会保障の必要性を主張し、その拡充を訴えるという意味では、所謂、「リベラル」や「左派」と呼ぶべき人なのだが、こと消費税については従来の「財政均衡論」や「財源論」にとらわれていて消費税必要論から抜け出せなくなっている。

 言うまでもないが、「反緊縮」というのは単に消費増税に反対するというだけではなく、この均衡財政やプライマリーバランスの黒字化を目指したり、財源の裏付けがなければ社会保障などの支出もしないペイゴー原則とも呼ばれる財源論による「緊縮財政」を否定する立場。
因みに、その理論的裏付けになっているのがケイズ経済学であり、その一種が「MMT(現代貨幣理論)」ということ。

 そもそもこの「緊縮財政」の主張は、それこそレーガンがかって言ったような「小さな政府」を作ることが目的であり、新古典派経済学に則って民営化で社会全体の市場化を推し進め、自己責任として社会保障などの削減を主張する新自由主義政策を推進する為。
だから社会保障の拡充など「大きな政府」に戻すことは否定するし、ケインズ経済学に繋がるMMTなんてとんでも経済理論だと否定することになるのだ。

 ところが、この国には上に紹介したように、社会保障の必要性を主張し、その拡充を訴える、それこそ「大きな政府」を志向しながら、財政政策だけは「緊縮財政」を主張する、謂わば、「リベラル“緊縮”左派」と呼べるような人々が不思議なことに大勢いる。
結果、彼らは消費税廃止を否定して、「反緊縮」やMMT、そして山本太郎を叩くということになる訳だ。

 で、結論から先に言えば、彼らの考えは過っているし、彼らの過ちは現実を見ていないことに尽きる。

 例えば、前にもこのnoteで詳しくは説明したが、消費税は「直間比率の是正」、つまり法人税や所得税を減税する為に導入された税金。事実、ずっと法人税減税の原資に使われて来ただけで、そもそも国の税収自体は増えていない。

確かに消費税を廃止すれば法人税や所得税を減税することは難しくなるが、逆に言えばそれだけの話。
社会保障ともその財源とも何の関係もないし、何より逆進性のある消費税を社会保障に使うことは、それこそ社会保障が必要な貧しい人にカネを渡して、そのカネを消費税でまた巻き上げる無意味な行為でしかない。
そういう意味では、消費税の減税や廃止そのものが社会保障の拡充と同じような意味をもっていることも忘れてはならない。

 また、消費増税を続けても法人税や所得税を減税して来たので税収そのものが伸びない結果、当然、国の赤字=国債発行額も増え続けて来た。
しかし、この国ではそれこそ「MMT」の理論通りで、財政破綻は勿論、ハイパーインフレどころかインフレすら起きていない現実があるのだ。

 実はこの「現実」を一番よく理解しているのが財務省であり、今の政府。彼らは口では財政均衡論や財源論を言いながらも、消費税を法人税の減税などに使って税収を増やさない。
それでも赤字国債を発行し、防衛費を増額し、予算規模も拡大する。そう、財政破綻もハイパーインフレも起きない事が解っているからだ。

 事実、財務省は「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない」という公式文書を出していて、財政破綻を否定している。山本太郎 がメディアなどから「貴方はMMT論者なのか?」という問いかけに対して、「私は財務省論者だ」という答え方を必ずしているのは、正にこれが理由だろう。

 財政均衡論も財源論も緊縮財政も、そもそも社会保障の削減など新自由主義的政策を推進する為の方便に過ぎない。「リベラル“緊縮”左派」もこの現実を見て、この洗脳から脱しない限り、社会保障の拡充など不可能だろう。

 何よりも社会保障を拡充しないともはやこの国がもたない、という点は「リベラル“緊縮”左派」も異論はない筈。で、山本太郎など「反緊縮派」も彼らが懸念しているインフレは困る、という点には異論はない。
だからインフレになるまで、逆進性のある消費税も廃止して、社会保障を拡充しよう、と言っているだけの話。

 因みに、こういう言い方をすると「インフレになったら社会保障を削るつもりか!」という突っ込みが来そうだが、インフレを止めるには増税が一番なのだから法人税や所得税を増税して、それを財源にすればいいだけ。
それにインフレは収入の増加でもあるのだから増税の痛みも少ないし、そもそも今のデフレのような状態とは違い、インフレは社会保障の必要額も減っている状態といえよう。

 このように説明はしてきたが、自己責任なのだから社会保障など削減してしまえ、という新自由主義的な考えを持つ人間が「緊縮財政」を支持するのは理解出来るが、社会保障の拡充や「大きな政府」を求めるこの国のリベラルや左派がなぜ「反緊縮」に反対し、「緊縮財政」を支持する理由には私もよく判らない部分が多い。
事実、米国などではサンダーズやAOCなど民主党左派が唱える「反緊縮」は社会主義とも批判され、リベラルや左派の専売特許のようなものなのだが…。

 ただ、考えられることとしては、それこそ前にもここで書いた「エリートパニック」の一種として、大衆が山本太郎に熱狂することへの危惧や恐怖もあるのかもだし、もう一つ、こういうことも考えられる。

 この藤井 聡 京大教授だけではなく、中野剛志とか三橋貴明とか、日本でMMTや「反緊縮」を主張する人には「右派」が少なくない。
勿論、「反緊縮」というのは反新自由主義ではあるが、右とか左とかは無関係なので、欧米にも右翼で「反緊縮」を唱えている人や、それこそフランスの「国民戦線」やイタリアの「同盟」のような組織は幾らでもある。

 特に日本ではこういう「保守“反緊縮”右派」の主張が先に出て来たこともあって、「緊縮」か「反緊縮」かの本質的な対立の前に、「右」か「左」かの本質とは関係のない古臭い対立が起きてしまい、「リベラル“緊縮”左派」という勢力が出来上がってしまったのかも知れない。

 このツイートでも言ったように、「右」と「左」には勿論、考え方に差異はある。消費増税で韓国や中国に国力で負けるという「右派」の主張は「左派」には論外だろうし、税金、カネの使い道にはどうしても右と左では優先順位の差が出て来る。
例えば「右派」にとっては防衛費も重要だろうが、「左派」はそれよりも社会保障費とかいうことになるだろう。ただ、対立はそこだけにある筈。
もし「右派」への反発から「左派」が社会保障の拡充や貧困の解消に繋がる「反緊縮」やMMTまで否定する「リベラル“緊縮”左派」になるとしたら、それはあまりに狭量過ぎると言わざるを得ないのだが…。

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