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「経済学」というインチキ

  今年も先日、「ノーベル経済学賞」の受賞者が決定したが、このノーベル賞が実はノーベル賞ではない、という事実をご存じだろうか。

実際、「ノーベル文学賞」や「ノーベル物理学賞」と同じような「ノーベル経済学賞」という賞はこの世に存在しない。私たちが「ノーベル経済学賞」と呼んでいる賞は正式には「アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞」という、賞金もノーベル財団ではなくスウェーデン国立銀行が出す全く別の賞なのだ。

   この記事にあるように、1968年にノーベルの名を冠した経済学の賞が新しく出来ることにノーベルの子孫が賛成しなかっただけではなく、アルフレッド・ノーベル自身も科学とは呼べない「経済学」をノーベル賞に加える気はなかったとも言われている。

    ところが、この「経済学」がいつしか科学、それも自然科学のように思われるという状況が出現しているのだ。

 先日、こんなツイートをしたが、この元の記事はリフレ派など今の主流派経済学による金融政策が全く予測通りの成果を上げないことに苛立ったエコノミストによる“経済学はあてにならないじゃないか!”という怒りの声に過ぎないのだが、逆に言えば、このエコノミストは今までは「経済学は、再現実験によって予測や真理に近づくことが出来る自然科学の一種であり、経済学によって経済は完全に予測可能だ」と思っていたということだろう。

    なぜこんなことになったのかも分かり易い。それは正に「ノーベル経済学賞」なる代物が出耒た1968年という年代に関わってくるのだが、1960年代の半ば頃からそれまでの「マルクス経済学」と「近代経済学(ケインズ経済学)」に代わる新しい経済学が脚光を浴び始めた。

 それが米国のシカゴ大学の経済学者による「シカゴ学派」という一派であり、その中心にいたのがケインズ批判を繰り広げたフリードリヒ・ハイエクであり、ミルトン・フリードマン。
ハイエクは正確には政治思想家でシカゴ学派の経済学者ではないが、彼の主張した「新自由主義」と、フリードマンが主張する貨幣供給量(マネーサプライ)によるマクロ経済の変動や市場経済を重視する「新古典派経済学」がそれまでの「マルクス経済学」は勿論、「近代経済学(ケインズ経済学)」も駆逐して、世界を席巻。
やがて「主流派経済学」とまで呼ばれるようになっていくことになるのだ。

 その「新自由主義」と「新古典派経済学」によって、もっとも利益を得るのが金融資本であり、それこそその箔づけの為に、スウェーデン国立銀行が「ノーベル経済学賞」を作ったと考えれば納得しやすい。その証拠にフリードマンも、本来は経済学者ではないハイエクも「ノーベル経済学賞」を受賞している。

 また、このフリードマンなどのミクロ経済学は、自らの仮説を統計データを基に数理モデルを構築して、それによって経済を予測しようというものであり、正に自然科学のようにふるまうのだ。
これが「経済学」がいつしか科学、それも自然科学のように思われるようになった理由だし、それこそ「経済学」には自然科学のようにたった一つの真理があるという勘違いを招いたのだろう。

 ただ、このノーベル経済学賞の対象となる「主流派経済学」は、実際は経済を、それもミクロな視点で見て、数理モデルを構築して経済成長やインフレ、それこそ為替相場や株価を予測するだけの代物。
例えば「金融工学」という分野を作り上げ、1997年にノーベル経済学賞を共同受賞したマイロン・ショールズとロバート・マートンが「ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)」という投資ファンドを経営したものの見事に予想を外して破綻したように、結局はカジノやギャンブルの必勝法と同じ金融バクチの必勝法を考えるだけのツールに過ぎないのだ。

 ところが、この“金融バクチの必勝法”に過ぎない「主流派経済学」の考えに則って、ある経済変数をこう変えると成長やインフレがこう変わるというような経済や社会をある種の工学の対象と考える金融政策や経済政策がずっと行われて来たのだ。
それがマネタリズムや行動経済学、サプライサイド経済学、リフレ派などの失敗だし、ミクロ経済学の間違い。

  因みに、今年、「ノーベル経済学賞」を受賞したのも発展途上国などの貧困を根本的、構造的に解決するのではなく、どうやれば効果的に援助が出来るかという実証実験を行っただけの愚にもつかないミクロ経済学の典型と言っていい代物だろう。

 「経済学」はミクロな部分での仮説を実験によって検証し、真理にたどり着く自然科学ではない。そもそも人間、それも多くの人間の営みによるマクロな結果に過ぎない「経済」に真理など存在しないのだ。

 それを「経済学」には正しい予測や一つの真理があると考えるから、例えば今までの「主流派経済学」が地動説で、それを否定するMMTは天動説と同じ“とんでもだ!”というような批判も出てくるのだろう。

 「経済学」という学問が何なのかは、そもそもこの「主流派経済学」と呼ばれるミクロ経済学が出て来る前の時代、「マルクス経済学」と「近代経済学」の二派があった時代を考えれば分かり易い筈。 
それこそ政治思想として社会主義や共産主義の国家や社会を作るのが理想と考えれば、当然、そこでの経済は「マルクス経済学」に基づいたマクロ経済モデルになる。
逆に資本主義の国家や社会を維持すべきと考えれば、その資本主義の欠点を修正した「ケインズ経済学」に基づくマクロ経済モデルを採用するのが一番なのは言うまでもない筈。

 つまり「経済学」には天動説も地動説もないし、一番重要なのは私たちがどんな社会、どんな国をつくりたいかということだけ。
その社会や国を実現する為の経済には何を求め、どんな経済モデルが必要なのかを考えればいいだけなのだ。

 それを逆に「経済学」には正しい数理モデルがあり、自然科学のようにたった一つの真理がある、と私たちが勘違いして来たからこそ、大企業や金融資本にいいように経済政策や金融政策を決められ、今のような金持ちだけが富を独占する社会や国が出来上がったのだ。

 この「主流派経済学」による新自由主義的な“経済学というインチキ”を脱することが今の私たちに先ず必要なことなのだろう。

      ※Photo by ロイター/Karin Wesslen/TT News Agency

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