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東京都知事選、そして山本太郎。


   「れいわ新選組」代表の山本太郎が東京都知事選への出馬を表明した。私はこのnotoでも何度も彼のことについては書いているし、twitterなどでも「れいわ新選組」や山本太郎への支持を表明して来た以上、今回の出馬についても私自身の考えを書いてみたい。

    そもそも私は山本太郎の都知事選への出馬については「反対」の立場で、そういうツイートもして来たが、ここに来てやや考えが変わった部分もある。それでも私の結論を先に言えば、山本太郎の活躍すべき場所はあくまでも国会であって都庁ではない。都知事は他の人間、勿論、小池では困るが、それこそ宇都宮氏で何の問題もない以上、山本太郎が都知事になることには「反対」したい。ただし、山本太郎が今回の都知事選に出ることには「賛成」したいのだ。

 と言っても、現実には山本太郎の都知事選出馬には喧々囂々、というよりは非難轟々といった方がいいぐらいの批判が巻き起こっている。 それもネトウヨや安倍支持層といった所からだけではなく、安倍に批判的だったり、野党を支持する層、立憲や共産党の支持者からも痛烈な批判を浴びているのだから、正に四面楚歌と言ってもいいだろう。

 では、なぜ山本太郎の都知事選出馬は批判されるのだろうか?

一番多いのは、「山本太郎が都知事選に出馬することで政策や支持層が重なる宇都宮けんじ候補の票が奪われ、結果として小池を利することになる」という批判であろう。

 この批判は正しいのだろうか? 先ず考えてほしいのは、この批判の論理はあくまでも選挙結果から逆に導き出されている点なのだ。つまり、山本太郎の出馬が選挙結果として小池を利することにならなければいい訳だし、それどころか山本太郎が出馬しようがしまいが選挙で勝つのは小池だという現実の前には全く意味のない批判というしかないのではないだろうか。

 下の表を見てほしい。

東京選挙区

 これは去年、行われた参議院選挙「東京選挙区」での投票結果なのだが、丸川・山口・武見、当選したこの自公3候補の票を集めれば248万票を超える。小池は“政党推薦を受けない”と嘯いているが、自公が独自で擁立した候補がいない以上はこの票はほぼ全て小池に行くと考えていい。

  さらに、こういうデータもある。

円グラフ


  小池都知事の支持率は何と70%近いのだ。勿論、この調査は5月末のものなので、学歴詐称など「女帝」の問題で少しは下落している筈だが、新型コロナで連日、テレビに出て来たCM効果は絶大というしかない。

   この「支持率」、そして250万票近い「基礎票」を持った小池が今回の都知事選で負ける事は100%ないのだ。それは山本太郎が出馬したとか、野党候補が一本化しなかったとか、といった問題とは全く無関係。自公が小池の対立候補を擁立しなかった時点、TVや新聞が新型コロナの問題で連日、小池を引っ張り出し、批判すらせずに彼女の言葉を垂れ流し続けた時点で決まっていたことなのだ。

  今回の「都知事選」のように、選挙の前から選挙結果がほぼ決まっている選挙は少なくない、というよりもほとんどの選挙で選挙結果はほとんど見えていて、やってみないとどう転ぶか判らない選挙の方が少ないのかも知れない。ただ、だからと言って選挙結果だけを考えていけば、それこそ殆どの選挙が無投票になってしまう訳だし、それは有権者の選択肢を奪うという意味で民主主義の破壊でしかないのだ。

『  それぞれの政策を選挙という場で、皆さんに主張していくってことは重要なことだと、勝ち負けではなくて、政策提案という意味でも、選挙に出るということは、私はやる』

    これはそれこそ山本太郎が出馬表明前に宇都宮けんじ候補と会談をした時に宇都宮候補が語った「決意」だとか。この弁やよし。

    選挙には当落という勝ち負けではなく、有権者に投票の選択肢を与えるだけでもなく、政治家が自らの政策や政治理念を人々に訴えかけるという大切な意味もあるのだ。

 だとすれば、今回の都知事選に宇都宮けんじ候補だけではなく、山本太郎も出馬して自らの政策や政治理念を多くの人々に訴えかけていくことが悪いことである筈がないし、批判するのも筋違いというしかない。

 勿論、これには立憲支持者周辺などから出てきたように「都知事選を山本太郎が自らの党利党略、党勢拡大に使うのは許しがたい」という批判もある。

 特に、今回の都知事選では小沢の根回しもあったようだが、山本太郎を野党統一候補として東京都知事選に擁立しようという話や交渉も立憲などとは行われて来たらしい。そこで山本太郎が立憲などが望む「無所属」での出馬に抵抗したり、山本が「無所属」を呑む代わりに「消費税5%減税」を立憲に呑んでほしいと迫って拒否されたこともあって、余計に都知事選を党利党略に使っている、という批判を招いたのだろう。

 ただ、「れいわ新選組」はそれこそ山本太郎ひとりが立ち上げた政党であり、その代表が山本太郎。その山本太郎が「無所属」として都知事選に出馬してしまえば「れいわ新選組」は解散したに等しいことになってしまう。その狙いが立憲などにあったとまでは言わないが、多くの議員がいる大政党や、まして代表以外の政治家が「無所属」として野党統一候補になる事とは全く意味が違うのは当然だろう。

 確かに、今の状況では解散総選挙がいつ行われるかも判らないし、安倍の思惑が外れれば来年の任期満了まで総選挙がない事まで考えられる。さらに新型コロナの影響で山本太郎や「れいわ新選組」が活動の中心として来た全国各地での街頭演説会も開催不可能。そして何よりも山本太郎自身が言うように“放送禁止物体”としてテレビなどメディア露出も出来ず、世間の話題的にも、寄付に頼る財政的にも「れいわ新選組」が消滅の危機にあるのは事実。

 その苦境を脱する為の山本太郎の都知事選出馬を「自らの党利党略、党勢拡大に使うのは許し難い」とまで批判するのは本当に正しいのだろうか。

 「Whataboutism」めいてしまう部分もあるが、山本太郎の都知事選出馬よりも、都知事選に限らない日本の政治の大問題として批判すべきはこちらの方ではないかと私は思うのだが…


          ※Photo image by れいわ新選組Web サイト

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