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体の中に耀る月-10

「これは、その」
南戸は、あっという間に畏縮してしまった。
「別にいかがわしくなんかないよ」
と、反駁する睦にも、冷や汗が伝う。後ろ暗い事は、確かだ。
「ふうん、じゃあ見せてよ」
睦には、友好的に振る舞っていたのも束の間、春は挑戦的だった。目に、鋭い光を湛えるところも、典子に似ている。
睦は、「ダメだ。秘密だ」
と、春の要求を跳ねたものの、
「い、良いよ。別に」
と、南戸は、全身を震わせながら、タブレットを春に差し出した。
「そんな、エ、エッチな写真なんか、ないだろ」
春の瞳が、一層鋭い光を放ったような気がして、睦は、不安になった。タブレットを受け取った、春は、
「どうかな。隠してるかも知れないよね」
パラパラ写真を捲った後、春は、勢いよく、踏み締められた砂利に、タブレットを叩き付けた。整然とあるべきところに収まり、意志疎通を測っていたプラスチックと金属の塊は、粉々に砕け散った。乾いた音が響いた。南戸は、地面に顔を伏せて泣き出し始めた。こちらは悲痛な泣き声だった。
春は、南戸の泣き様を、ニヤニヤ眺めながら言った。
「隠し撮りは、犯罪だからね。皆に言い触らされないだけ、マシと思いなさいよね」
春の言い分に理はあるが、南戸に同情を禁じ得なかった睦は、思わず彼の肩に手を置いた。ことばの拙い南戸自身より、写真は雄弁に彼の事を語っていた。あくまで睦の意見だが、写真にモデルの人格を卑しむ気持ちは微塵も感じられなかった。彼女らの一瞬の煌めきを、フレーム内という制約の中、最大限引き立たせようで としていた。容姿を小馬鹿にされる事が多い南戸に、こんな写真が撮れるのかと、睦は感心した。
「コウモト君は、南戸君の肩を持つんだね」
睦は、敵意を持って春を睨んだ。膝を付いた睦の視界は、春の小柄な肢体を、実物より大きく見せた。皮肉と嫌味の笑み、セーラー服とブルーソックスが覆い被さった、細い体。
「あっち行けよ」
睦は普通に言ったつもりだったが、以外にも低く唸るような声が出た。春から笑顔が消えた。
「コウモト君は、南戸君とそんなに仲が良いの?ほっとけばいいじゃん」
春のことばを防いで、言った。
「お前に関係ないよ。お前みたいな性悪は嫌いだ。あっち行けよ」
睦のことばは、春を傷付けたらしい。彼女の顔色は一瞬で変化した。柔和の仮面は、どこにも残っていなかった。小刻みに震えながら、春は、拳を握った。睦は警戒したが、春は手を出してはこなかった。
「ふうん?じゃあ、こういうのはどう?さっきのいかがわしい写真の数々は、実は、このUSBにダウンロードしてあります。南戸君、その様子じゃバックアップ取ってなかったんじゃない?睦君が私のお願いを聞いてくれたら、これをあげます」
嗚咽を漏らしていた南戸は、わずかに顔を上げて言った。てっきり、南戸から是非そうしてくれるよう、哀願されるものと思っていた。意外なことに南戸は言った。しゃくりあげながら、早口で。しかしハッキリと「要らない」と言った。もごもご不明瞭な発音で続けた。始めは練習のつもりだったのが、いつの間にか力作になった。睦君との友情の証に、初めて睦君だけに、見せた。それを脅迫の材料にされるくらいなら、言い触らされる方がマシだ。今度はちゃんとモデルに頼んで、もっと良い写真を撮る。
注意深く聞かなければ、ただむーむー言っているだけに聞こえただろうが、どうやらそういうことらしい。思い通りにいかないことを知った春は、ハラワタの激情を持て余しているようだ。息が荒くなっている。
 南戸への印象が、少なからず変わっていった睦は、春に向かって言った。
「お願いってなんだよ」
南戸は、厚ぼったい眼を睦に向けて
「ダメだよ。言うことを聞いたら。どうせロクなことじゃないよ!」
「うるさいな、アンタは黙っててよ。それじゃあ引き受けてくれるんだ」
春は、跪いたままの睦と南戸に視線を合わせるため、わざわざ屈みこんで、あえて顎を引き上目使いで微笑んだ。
「引き受けるかどうかは、聞いてから決めるよ」
「スゴく大事なお願いなの。最近、陸上部の間で、物を無くす子が増えてるの。この間なんか部活中、確かにロッカーにいれてた筈の下着を無くした子がいて、大騒ぎになった。先生に相談しようって事になったんだけど、そうしたら、『誰にも言うな』って書かれた隠し撮り写真が貼ってあったの。ホラ」
そう言って見せた写真は、どうやら更衣室のロッカーの上から撮られたらしい。ピンボケした着替え中の女子生徒が写っていた。
「部員で、更衣室を調べたけど、隠しカメラなんて見付からなかったの。皆に見付からないよう、こっそり置いたり回収してるのかも。コウモト君、物捜し得意みたいね?探すの、手伝ってよ」
流れるような説明だった。睦の「物捜しが得意」というのは、カンニングのタブレットの事を言っているのだろう。しかし、あの時は傍目からは、典子が捜し当てたように見えたのではないのだろうか。それとも、それも睦が密告したと思われているのだろうか。
睦は、返答に困った。こういうとき、焦って返事をすると、墓穴を掘ることになる。大体、更衣室を物色するような人間が、学校内外のどちらにいても問題だ。いくら脅迫されたとは言え、教師や警察に相談するべきじゃないだろうか。
「睦君が困ってるよ。男子が女子の更衣室を調べていいわけないだろ。変なこと頼むの、やめろよ」
南戸は、腫れた目で春を睨んだ。
「ああもう、うるさいな。黙ってろよ、デブ」
これは春のことばである。
この女の図々しさはどうだろう。南戸とは決して深い友人ではないが、わざわざ二人話しているところを横入りし、睦には、媚びたような態度を取り、南戸を扱き下ろす。
「分かったぞ‥‥ひょっとして、コイツ、ヒラタニ(俊之の名字)の事が好きで、カンニングがバレたのを、逆恨みしてるんだ。それで、お願いなんて言って、睦君を女子更衣室に入れて、痴漢にしたてようとしてるんだ!」
南戸は、そのような意味の事を喚いた。睦は、驚いて南戸を見たが、それよりも驚愕の表情を浮かべたのは、春だった。
「あ、コイツ。さては図星だな。見て!睦君、コイツの顔を」
春は、睦に鳥肌が立つほど、暴力的で下品なことばを使い、南戸のことばを遮った。小柄な体から想像もできない力で、南戸の胸ぐらを掴み、彼をブロック塀に押し付けた。睦が、慌てて、呻く南戸と春を引き離そうと、春の腕に触れると、春は身を震わせて、何かに弾かれたように南戸と距離を取った。
睦が詰問する間も与えず、春は逃げてしまった。後には、気持ち悪そうに咳き込む南戸と、呆けた睦、そして、無念にも死体となった無機物の残骸が残された。



友人と不遇の画家モディリアーニ展に行ってきました。彫刻家志望だった彼は、カリアティードで有名なイタリア人です。


実は中之島美術館にははじめて行きました。現金決済不可になっていました。

ミクロスケールで浦島太郎になった気分


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