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先生のお友達と遊びに行った


先生のお友達と遊びに行った




友達と二人、某有名店にタルトを食べに行きました。交流関係の狭い私で、成長速度?もゆっくりと思いますが、歩み続ければどこかにはたどりつく!プロとは、途中でやめなかったアマチュアのこと!を、座右の銘に、少しずつでも確実に、「どこか」に行こうとしている自分を励ましてあげることが、できています。


友人は教職についていて、発達障がいの生徒さんの事を教師の立場からいろいろ聞けるので、勉強になります。


身も蓋もないことですけど、教師にもいろいろいて…たとえば、休み時間にも事務仕事をして「生徒と向き合う時間」を最低限度に抑え(もう、この時点で保護者としては、嫌…)、定時で帰ることに心血を注ぐ教師もいるそうで、保護者がどんなに気を付けたって「子供が傷付くリスク」をゼロにすることは、絶対に出来ないんだと思います。


そういう「不純」を許さない潔癖で子供想いの親が、モンスターペアレント化していくこともあるのかなと思うと、親とは何か?学校とは何か?社会とは何か…?

定義から改めて考えていくことを、避けちゃいけないのかなって思います。


子供が辛い思いをするのなら、学校に行かなくていいよって言えることも大事だけど、自分の子供を見てても思うんですけど


チャレンジや訓練、友達と遊んだりする場所、学校という場所・経験の全てが嫌いなんて子供、いないですよね。


嫌なことが膨れ上がり、耐えられなくなるなるんだって、ブラック企業も同じかな、と。世話になった先輩や励まし合った同僚がいて、ブラック企業だけど、他者に悪く言われるばかりだと悲しいし腹立たしい。


然るべきときに、「やめる」という選択肢を提示してあげること。


「やめなさい」じゃなくて…本当はどうしたいか、もし、イジメを受けていて、相手が改心することで和解できる、と、被害者がそう望んでいるのなら、たとえ難しくても、子供を親の都合の良い方に誘導するんじゃなく(それもありだと思っちゃうけど)、親が加害者の親を許せないから子供同士の衝突を煽る、なんてやっちゃいけなくて、まず子供が望む方向を目指すべきなんだと、思います。


まあ、その教師のお友達の話を聞いていると、学校って綺麗事だけじゃ片付かないような、とんでもない魑魅魍魎がいたりするんですけどね。


なんか、揉め事を先生に言われたことが気に入らなかった、とかそんな理由で、腹を立てた子供が、相手の自転車を高所から落として壊した…

それも、カッとなってやったんじゃなく、復讐心から気付かれないよう計画的に、屋上の自転車置き場から人通りの少ない通りに落としたっていうんですね。


息子と同じ学年の子でした。


ただ、これって親御さんの教育の仕方が悪いって、そんな問題なのかなって思ったんです。


育て方がどうであれ、オーメンやローズマリーの赤ちゃんみたいに、自然発生的に「サイコパス」が産まれる可能性なんて、親の頑張りで低くなるものではないのでは。


これはただの私の妄想ですけど、私はもし自分の子供が頭が良くてもサイコパスなら、愛せる自信は無いです。


そういうホラーありますよね。


そこは、私、実母に似ていると思わざるを得ない。今、息子が好き、なのは、アホなんですけどわりと素直っていうのが気に入っていて、親の愛がそんな嗜好に左右されていて良いのか?と思うけど、結局親の愛って世間で神聖視されているだけで、そういう場当たり的なものなんだと思います。




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