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およそ一千数百羽のムクドリに嫌われた。

いつの間にか真夜中の肌寒さが耐えかねるほどになり始めた頃、私はもう一つの耐えがたい環境の音に苛まれていた。

最近は、駐車場に車を停めて近くの自販機で買った缶コーヒーをすすりながら、寝るわけでも生気を奮い立たせるでもなく、ただひたすらに時間の経過を待つのが習慣となっていた。

真夜中であるからして当然周りには人影の一つもなく、夏の蝉の声が聞こえなくなってから私の休息の時間を邪魔する者はいないはずだった。


だが、その日から、一本の欅の木からびゃーびゃーと何かが鳴く声が聞こえ初めた。

鳴き声の主が蝉でもコオロギでもないことはすぐに分かった。

恐らく、千は超える数の鳥であろう。ムクドリの群れであることが後に判明した。

昨日ここに移ってきたのだろう。


いや、もしかしたらそれはとうに居たのかもしれない。


その音は無駄に日常的で親和的であったゆえに、私の耳に入っていながらそれを感受するほど重要でないと自分自身が認識していたのだろうか。

それとも、その並外れた不快さから避けるように気づけなかったのか。

ただ、私にとっては、まるで私の中と外界を隔てていた膜がある日突然穴をあけたようであった。


びゃーびゃーびゃーびゃーびゃーびゃーびゃーびゃー


うるさい。


一匹の鳴き声であったならしみじみと風情を感じていただろうに、あれほど大勢となるとこうも不快なのかと腐心する。


その晩は、耐えた。

それらから逃げるように、私はエンジンをかけて車を走らせた。



次の日も、その次の日も、その駐車場に車を停めた。

鳥の鳴き声を嫌って遠くの場所を探しても良かったのだが、誰も来ない静けさを保てる場所を探す労力は持ち合わせていなかった。

当然、駐車場は閑散さとはおよそ縁のない場所と化してしまった。

自分でもなぜ戻って来たのか分からない。まるで親鳥が巣の元へ必ず帰ってくるように、私はあくる日もその場所へ足を運んだ。


実をいうと、車内にいるなら鳥の声など苦でもないのだ。むしろ心地よい。

たった、車から降りて自販機へ向かい、点滅するボタンを押してガランと落ちた缶コーヒーを手に取り、再び車のドアを閉めるまでの一分間、この時間だけの苦痛だった。

しかし、車から出る瞬間の耳をつんざく叫び声に、心から嫌な気持ちがした。


ガラッガラン。


缶コーヒーが落ちる音がやけに心地よかった。


だから、私はアスファルトに転がる小石を手に取って欅の木へ投げた。

・・・葉がこすれる音がした。それ以外に変化はない。

もう一度、今度はもう少し大きい石を見つけ、そのうちの一羽を殺すつもりで勢いよく投げ刺した。



ムクドリの群れは一斉に飛び立った。



それ以降、もう二度とその場所で鳴き声を聞くことはなかった。


ああ、これでよかったのだろうか。

ほんの数十分という私の安寧のために、ムクドリにとっての静寂を奪ってしまった。

耳障りな音が消え去った今、私を包み込んだのは解放感や達成感ではなく、寂しさと虚構であった。

もし今度彼らに出くわしたなら、耳を塞がないではいられない気がした。


翌朝、陽の明るさで車のルーフに鳥の糞とおぼしき白い汚れが垂れていた。

ああ、ついに私は嫌われてしまったのだ。


罪滅ぼしのつもりで、私は昼間その駐車場を訪れた。

すらっと伸びた欅の木は、真っ赤に紅葉していた。



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