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他人のせいにするのは簡単。主体的に生きる

世の中、暗いニュースばかりが続く。

特に今の政治に対する不満を持つ人は多いだろう。10万円の給付金がなかなか届かない、企業の休業に対する保障がない、など政策に対する不満だ。

世界では、トランプ大統領が中国を強烈に批判し、今回のウィルスの蔓延の責任を中国だけになすりつけようとしている。

こうした話は日常にも溢れている。「給料が低いのは上司の理解がないせいだ」「交渉がうまくいかなかったのは、他社が先に営業をしていたからだ」「本を読む時間をとれないのは、仕事が忙しいからだ」・・・

他人のせいにすれば、外部環境のせいにすれば、自分は守られる。簡単に問題が解決できる(解決できたと思い込む)。FACTFULNESS(ファクトフルネス)にもあった、犯人捜し本能ってやつだ。

これは、「誰かを責めれば物事は解決するという思い込み」のことを指している。

そりゃそうだ。
誰かを犯人にしてその人に責任をなりすりつければ、そこまでで問題は終わり、問題の本質的な原因は究明されない。自分を被害者にすれば、あとは犯人を見つけて終わり。

例えば、交通事故をおこしたバスの運転手をクビにして一見落着ではない。そのバスの運転手がなぜ交通事故を起こしたのか(過密スケジュールで休息が十分ではなかったなど)をしっかりと把握した上で、次の対策を取らないと、また同じ問題が引き起こされてしまう。

FACTFULNESSではこうした犯人捜し本能を抑え込むには、人ではなくシステムをみることを説いている。システム自体を見て本質的な真実を把握せよ、とのことだ。

確かにこれも1つの手だが、僕はもっと人間の内側の面、人格ともいうべきか、そういったところをもっと見直していったほうがいいと思っている。

もちろん、他人のせいにする、そういったことを言うことを完全に否定をしえいるわけではない。誰がどんな主張をしようが自由だし、それを僕が「そんなこと言ってはいけないよ」というのもおこがましい気がする。

ただ、こうした他人のせいにする人たちをみて、僕が常々思うこと、ある意味反面教師として自分を戒めることは、「僕は主体的に生きているか」ということである。

以前、会社の給料に対して不満をもち、飲み会の場でぐちぐちと文句を言っている同僚がいた。「上司の評価に納得できない」「周りの友人は同い年なのに自分以上に給料を得ている」と不満を漏らしていた。

そうした不満を持つことは全然いいし、それがある種エネルギーになることもある。しかし、その同僚は翌日も普段と変わらない仕事のやり方で仕事をこなし、上司とコミュニケーションをとっている。何も変わらない毎日をすごし、また不満を言っている。

それは、なぜか?・・・他人のせいにしているからだ。

もし給料に不満があるなら、自分の考えていることと上司の考えとのギャップを埋めるべく自分の意見を上司に伝えるべきだし、改めて上司の考えを確認してみることが必要だ。また自分ができると思っていても市場から見たら相応の給料なのかもしれない。試しに転職サイトに登録してみて自分の市場価格を把握してみるのもいい。

すべて自分の内側にある問題に目を向けてみると、解決すべき課題が目に見えてくる。そうすると主体的になり、行動に移せるようになり、結果が変わる。

人は自分を見つめることが案外苦手だ。かくいう僕もそうだった。自分を見つめれば、見たいくないことも見えてくるし、自分の嫌なところがあらわになると目を背けたくなる。

しかし、主体的に物事をとらえ、他人のせいではなく、自分のせい(自責)として捉える、問題を自分事として捉えることが、何よりも重要だと思う。それはビジネスマンだろうが、政治家だろうが、主婦だろうが皆そうだと思う。

下記の本では、アカウンタビリティを身につけ、伸ばすことが結果を出す方法だと説いている。

※アカウンタビリティ=主体的に自ら進んで仕事や事業の責任を引き受けていくという意識のこと。

アカウンタビリティは4ステップに分かれている。

【ステップ1】現実を見つめる

【ステップ2】当事者意識を持つ

【ステップ3】解決策を見出す

【ステップ4】行動に移す

この、ステップ1ですらできない人が多い。被害者意識の中からなかなか抜け出せないのだ。

難しい問題に直面したら、そのままはまり込んでいたいのか、何とか突破口を見いだして抜け出したいのか、自分の心に尋ねるといい。被害者意識の強い人でも、問題のない人生のほうを望むものだ。ただ、突破口を見いだすには、それまでの行動や態度と決別する必要がある。

こうした人は、今のありのままの自分を見つめる「勇気」をもち、それを受け入れる態度に変えないといけない。

一人でも多くの人がこうした「勇気」をもち、行動を変えることができれば、少なくとも責任のなすりつけのない主体的な社会になっていくと思っている。それはなかなかに困難なことだが、忘れてはならないことだと思っている。

あなたは、アカウンタビリティを備えているのか?主体的に行動ができているのか?

今一度見つめ直してみるいい機会が、今きているのかもしれない。

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