自己肯定感に翻弄された
こんばんは、夜のクラゲです。🌙
私、この前とてもビックリしたんです。
なにかと言うと、数年前からよく耳にするようになった「自己肯定感」という言葉がカギ。
この言葉絡みで「自分の今までの振る舞いが全部無駄だったのでは?」と思えちゃう、
自分の考えがちょっと変わった出来事があったので、皆さんと共有したいなぁと思い書いています。
(⚠️今回下ネタは一切ありません⚠️)
★★★
自己肯定感とは、言葉そのまま自分を肯定する感覚。
「今の私のままでいい」とか「あのときの自分は間違ってなかった」という自分を認めて行動していく。
世の中には「自己肯定感が高いと人生楽しい!」みたいな記事、書籍がたくさんある。
実際に私もその類の本を読んだことがあるし、読んだあとは「自分最高!」という気持ちが高まる。
っていうか、そんな本を読む前から
「何なら私は学歴も悪くない、容姿もまあまあ良い(夜の店では“アタリ”の分類)、気は遣えるし場を盛り上げるのが得意だし真面目だ。」
↑いつもこんな風に思っているので、究極のナルシスト。
だから私は比較的、自己肯定感が高い人間だと思っていた。
しかしこの前、同じ店で働く女性から衝撃の一言をくらった。
その女性は私よりだいぶ年上で、年齢的に気を遣う相手。けどそこまで気にしなくて良くて、5、6年一緒に働いててそこそこ仲が良い。
そんな彼女は私に、
「クラゲちゃんは自己肯定感が低すぎるよ〜」
と言ってきたのだ。
私はそのとき、驚きすぎて時間が止まったように感じた。本当にビックリした。
長い間一緒に働いていて、彼女は私がナルシストなのを知っているのに
「なぜそう思うんだろう?」と思った。
けど、そのときの場の雰囲気を考慮すると聞けなかった。
だから、自分の何が原因で自己肯定感が低そうに見えるのか考えてみた。
そうして出た答えが、気を遣いすぎていること。
「気を遣いすぎているから、自己肯定感が低く見えてるんじゃ??」と思った。
私的に、気遣いをする人としない人の違いってこんな感じ。↓
■気を遣う人=空気を読む、周りのことをよく見る、相手が嬉しいことをする
■気を遣わない人=空気を読めない、自分中心で周りを見ない、自分が良ければそれで良し
で、私はめっちゃ気を遣う人だから
「彼女には私は、めちゃめちゃ謙虚に、私が思っている3倍くらい謙虚に映ってるんだな」って思った。
私は中学生の頃の塾の先生に「素直さと謙虚さが1番大事」と教わってから、ずっとそれを意識している。
素直さは元からだから例外だけど謙虚さについては、“気遣いができる人として あえて謙虚に振る舞っている”ことが多々ある。というかほとんどそう。笑
だから私は人に気を遣っているとき、「気を遣えてる自分かっこいい」とさえ思っている。(めっちゃイタイけどな)
でも今回の彼女の発言で
「あえて謙虚に振る舞ってるのに結果的に自己肯定感低いとか言われるの損じゃね?」と思った。
そしてなんかイラついた。「そんなことないし」って思った。(笑)
だから、人に気を遣うのって良いことばかりじゃないのかもしれない。
そりゃあ、気を遣って感謝されたら嬉しい。
でも世の中は気を遣えない人も共存しているわけでじゃん。
気を遣えない人は、周りからは「あの子はああいう子だから仕方ないね」で終わることが多い。
これがなんか羨ましい。
敢えて気を遣って謙虚に振る舞わずに、自分勝手に生きていられる感じ。
自分勝手に生きるってすごい幸せじゃん?
それこそ自己肯定感が上がる気がするなって思った。
私はただ、自分の気遣いを含めた全てが好きで自己肯定感が高いと思っていた。
↓
けど、一部からはそうは見えないらしい。
↓
だったら、もっと自己中に生きた方が楽しくない?
これが一連の流れ。
気を遣ってるのが馬鹿馬鹿しくなった。
「気を遣ってる自分かっこいいな」って思うことも、しょーもないなって思った。
今まで冷めた目で見ていた自己中な人たちが、一気に羨ましくなった。
これからは、もっと自己中に生きていきたい。
まぁ、性格って変えるの時間かかるけどね。
良い意味で「あの子はああいう子だからね〜」って言われるように
自己肯定感を上手く見せつけていこうと思えた出来事でした。
★★★
これ、意味わかんない文章になってないか不安(笑)
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自己肯定感が高まる(笑)
ではでは、おやすみなさい〜♪
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