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人を愛すことと猫を愛すこと、ここに何の違いがあるだろう 「フィールダー」(古谷田奈月)

人を愛すことと猫を愛すこと、この二つにどんな違いがあるか、言葉で説明できますか?
性的な愛情表現と「単なる」愛情表現、どう区別しますか?

そんなことを考えさせられた作品が古谷田奈月先生の「フィールダー」です。

ある総合出版社の編集者である主人公に、担当している児童福祉専門家がある女児を「触った」という情報が入ってきて…というのが物語の導入です。

この事件は「情報が入った」だけでは収まらず、児童福祉専門家本人からも当該の出来事に関するメールが来ることで、主人公と読者に単なる猥褻事件と捉えさせずに事件を深堀させていきます。

その中で印象的だったのがこの一節。

 宮田は、自分がいなければあっと今に餓死する状況で猫を監禁しています。自分の都合で猫を去勢し、繁殖の権利を奪っています。ペットショップでの生体販売は好ましくない、でも保健所や譲渡会からもらってくるのは人道的だという冗談のような倫理観を、大真面目に持っています。悪質なブリーダーには憤っても、決して、愛玩目的で動物を飼うという行為それ自体には疑問を抱きません。「かわいい」を理由にさらってきた動物を「家族」と呼び、その姿を本人に断りもなくカメラにおさめ、世界中の人々と共有し、消費することを、おぞましいとは考えません。

「フィールダー」古谷田奈月 p.176

宮田とは児童福祉専門家・黒岩の夫のことで、愛猫家の男性です。

黒岩ととある女児について断片的に情報を得、動揺して黒岩を糾弾した宮田ですが、猫を愛さない黒岩にとって、宮田の猫に対する行動もまた暴力的ではないかと批判しています。

この批判は宮田に直接ぶつけられたものではなく、担当編集に宛てたメールの文面で、そもそも「子どもへの愛」「猫への愛」直接話し合ったところで分かり合うことはできないという諦めもにじんでいます。

この部分、読んでいてヒリヒリしました。
「猫を飼う」「猫を愛する」なんて大げさに言えば誰だって共感するようなエピソードなのに、それを客観視することで批判して見せる、それが無理やりじゃなくキャラクターにのっとっているので、読んでいただく際はぜひキャラクターそれぞれに着目して読んでいただきたいです。

この作品では小児性愛だけでなく、児童虐待、ルッキズム、ジャーナリズム、ソシャゲ中毒など様々なキーワードが盛り込まれた展開になっています。

その中で、作品を通して感じたのは「分かり合えなさ」だと感じました。

「紙幅なんだ。すべては紙幅だ。言葉が全然足りないんだよ。複雑なことは複雑なまま伝えないから自殺や差別がなくならない。人間は、本当は、単純さに耐えられる生き物じゃないんだ」

「フィールダー」古谷田奈月 p.257

これは主人公から同期の週刊誌記者への言葉です。黒岩に関する記事を面白可笑しく書かず、黒岩の言葉で、「複雑なままで」伝えさせてくれと頼みました。

最近は特に、SNSだけでなくニュースの見出しなどでも短文+インパクトが求められ、趣旨がねじれていたり厚みが減ってしまったりしています。

本作は出版社が舞台ということもあり、複数の編集者・記者が出てきて、それぞれがどんなスタンスで働いているのかも注目ポイントだと思います!

「フィールダー」は現実世界のほか、「リンドグランド」というゲーム世界も登場します。そこで主人公がパーティーを組むメンバーとのやりとりが黒岩事件を紐解いていく手掛かりになっていきます。

細かな登場人物については↓のツイートがイラスト付きで分かりやすいので、まずはこちらだけでも見てみてください…!

「フィールダー」は2023年1月読んだ本の中で一番おもしろいです。(今11冊しか読んでいないですが)
ただ「おもしろい!」というよりは考えさせられたり、ひりつく面があると思いますがお勧めです。
(サムネもちょっとだけ本文を意識して選んでみたので、そんなところも見てもらえたら嬉しいです)

ここまで読んで下ってありがとうございます~


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