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宝の山に気付いた時に。

昭和の時代の話をしましょう。
レトロブームにあやかって。
私は昭和生まれです。
話を続けると何歳であるか、
大体お分かりいただけましょう。

私が小学校の時の話しとなります。
ひとクラス36名居ました。
今ではビックリな数だと思います。
木の机に木の椅子に机もボロボロ
そんな感じでありました。
イタズラ書きやら、
彫刻刀にて削られていたり、
そうそう何故か?
当時は彫刻刀が必需品。
流行ってました(笑)

日々そんな感じでありましたから、
当たり前の事と受け止めて
ましたよ。
とにかく生徒数が多すぎて隣の席の子
との距離の近い事。
ノートに書いてある文字は覗かなくても見えるわけだし。
教科書を忘れると先生が
「隣の人、見せてあげなさい」
「は~い、わかりました」
と言っても少し机を
くっつけるだけで良いのです。

又いつも子供をおんぶして、
毎日学校に来るお母さん。
私のクラスに障害がある、
子供さんが居てお母さんは
何かあると手伝える様に。
給食、体育着に着替える。
体育館へ朝礼に行く。
全てお母さんが補助されてました。
小さな下の子供さんをおんぶして。
今では考えられません。
だってお母さんずっと1番後ろで、
立ってたんですよ。 
見かねた先生が椅子を用意しましたが。

下の子供さんを世話しながら、
お兄ちゃんを見守ってました。
凄い事は周りの子供達が、
手助けしてる時はあくまで、
じっと見守り、助けを求めると
さり気なくヘルプする。
その子供さんは確かに障害は、 
ありましたが、
差別やイジメは全くなかった。

お母さんも、
「いつも、仲良くしてくれて
ありがとう」と
お菓子を配ってくれたり、
先生も寛大な心で見守って、
あげてましたね。

又給食室があり
給食のオバチャン達が
作られてました。
嬉しいのは余って居る場合、
追加で食べれた事。
まっ早いものがちですが。

「あっ?おかわりないよ」
食べたい人?
「は~い!」
給食室に余ってるか聞いてくるね。
と当番の人が取りに行きます。

その頃は多めに作られてたのか?
余りが出てました。
牛乳は風邪などで、
休む子が多いいと余りが出たり。

「おばちゃん〇〇余ってる?」
「残念、全部ないよ。」
「遅かったか、わかりました。
 ありがとうございました。」
毎日こんな感じです。

飲み水も必ず水道場があり、
(水道か?井戸水か?)
勝手に飲めましたしね。

今は時代も変わり生活も変わり、
進化しながら毎日を送りますが、
何だろか?その頃は、
飢える子供はいませんでした。
今より貧乏であったはずなのに?
何だろか?
人々が輝いてました。

振り返ると沢山の宝の山に囲まれ、
日々生きて来たのですね。

人の温かさも宝の山。 
貧乏でも心の豊かさは
宝の山。
本当の幸せは人それぞれ。
でも小さくても大っきくても、
皆様方が、
宝の山を見つけられますように。