「ボカロはダサい」を聞いたら生きやすくなった
こんにちは。南波(みなみなみ)と申します。
突然ですが、みなさんは、ピノキオピーさんの「ボカロはダサい」という楽曲をご存知ですか?
ボカロ曲なのにボカロを腐すような挑戦的なタイトル、皮肉げな歌詞など尖り要素満載のこの曲。
しかし、私はこの曲のおかげでとっても生きやすくなりました。
今回は、この曲の魅力をみなさんにお伝えしたいと思います。
人の意見って意外としょうもないかも
世の中には様々な意見が溢れています。
特にインターネットは、攻撃的な言説もたくさんあり、ときには炎上という大騒動に発展することもあります。
否定的な意見に晒され、傷ついたり、逆に怒りが湧いたりといった経験がある人も多いのではないでしょうか。
「ボカロはダサい」の歌詞でも、そのような叩きや炎上について触れています。
ですが、注目してほしいのはそこではなく、2番のこの歌詞です。
この部分を聞いたときに思ったのです。
なーんだ、しょうもないじゃん!
背負い込んでいた重い荷物が下りたような感覚でした。
だって、命が大切なことなんて我々は分かりきっています。
サイボーグに命はダサいと言われても、自分の命を否定するような人はいないでしょう。
価値がわかっていない存在が「ダサいんだ!」と言ってきたところで、「あなたはそう思うのね」としかならないのです。
好きなものをダサいと言われると否定したくなるのは人として当然。
ですが、実際はサイボーグが命はダサいと言っているようなもの。
かっこつけてそれらしいことを言っているように見えても、価値が分からない人が好き勝手言ってるだけかもしれません。
価値観が違う人がいても当たり前。
正面から受け止めて、傷ついたり怒ったりしなくてもいいんです。
「へ〜」で流しても全然大丈夫。
なんだか肩の力が抜けてきませんか。
ダサくてもいい
サイボーグが「命はダサい」と言ったところで、命の価値が下がるわけではありません。
同じように、ダサいと言われても、あなたの心の中にある「好き」「楽しい」が曇るものではないことをこの曲は伝えてくれます。
他人に貶されても、自分の「好き」を大事にしていいんです。
欠点とされた部分まるごと愛したっていい。
そして、他人に自分の「好き」を正当化する必要もないのです。
好きなものが否定されないように、武装しなくていいし、対象を崇めなくていいし、相手をやり込めて良さを分からせてやろうとしなくたっていい。
社会で役に立たなくても、立派でなくても、高尚で文化的でなくても、好きでいていいんです。
一見するとこの曲は「ボカロはダサい」もしくは「ダサくない」ことを言おうとしているように感じられるかもしれません。
でも、ダサくてもいいんです。楽しいんだから。
さいごに
私は昔から、インターネットで好きなものや推しが否定される度に、馬鹿にされるようなものじゃないんだ!と戦おうとしたり、なるべく万人に好かれるものを好きになろうとしたりしていました。
でも、とても息苦しかった。
そんなときに出会ったのがこの曲です。
楽しいって思ってるなら、人にダサいと言われようといいじゃない。
そう思えたことで、とても生きやすくなりました。
応援ソングでもないし、「ダサ ダサ」言ってる皮肉っぽさのある歌詞なのに、ちょっと力が抜けてなんだか前向きになれるんです。不思議ですね。
ぜひ、ツインテール今村さんのゆるくてかわいいイラストとともに、「ボカロはダサい」を楽しんでみてください。
少しでも魅力が伝わっていたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。