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昔書いたものを

二足歩行とガトーショコラ


 私の人生は、チョコレートに狂わされたと言っても過言ではない。母親曰く、地球生活一周年を少し過ぎ、二足歩行を習得した頃の私は、よく遊んでいたご近所の先輩キッズの後を必死に追いかけ、丁度おやつどき、皿の上にあった「それ」を初めて口にしてしまったらしい。当時の記憶自体は専ら残っていないが、その一口で得た未知の快楽を私のシナプスが忘れることなどあり得なかった。「それ」に対する陶酔の基盤が、その一瞬で構築されたのだろうと確信している。
 多くの育児書が、チョコレートは3歳頃からと指南する中、自我も儘ならぬたった1歳で「それ」の魅力を知った私は、人生を「それ」と歩むことを選択せざるを得なくなった。

──「こもちゃんがチョコ食べてるから、汚れないように。」と、私の袖を捲ってくれた近所のゆきちゃんは、当時4歳にしては気が利く優等生だったが、流石に一歳児がチョコを食べない方が良いという知識は無かっただろう。ましてや私が将来こんな風になろうとは思いもしなかっただろう。


 インスタで見つけてから、どうしても食べなければならないと心を急かす商品があった。『無印良品 ガトーショコラ』。しっとりとしたチョコレート生地で生チョコレートを包み焼き上げたという、少しだけ手の込んだ作りである。
 さてと、ひとくち。それだけで、ああ、雲の上に寝転んで遊ぶポメラニアンとシマエナガの情景がはっきりと目に浮かぶ程の幸福だ。生地は健康なゴールデンレトリバーの鼻のようにしっとり且つ重みもあり、中央の生チョコは睡魔に負けたジャンガリアンハムスターのようにとろんとした口溶け。1人分にしてはやや大きいため半分に切って明日また、と思うが、気付いたらもう半分を冷蔵庫から取り出している。しかもそれを後悔なく許してまた幸福を得る。無印さん、人をダメにするシリーズにガトーショコラも追加したらどうだろうか。


 20年目にもなる私のチョコレート・シナプスが閾値をとうに超え、私は、このガトーショコラが出来上がる工程を一目見てみたいと、ある場所へ足を運んでいた。

 東北の長閑な里山にぽつんと位置するその製造工場に伺うと、職人ならぬ職“鳥”たちが心地よい囀りとともに出迎えてくれた。案内された製造ラインは、銀色の機械音でひしめく空間ではなく、まるで春先の広葉樹林のようなぬくもりがあった。

 「昔はねッコケ、山を綺麗に管理してくれる人々に感謝の意味を込めてッコ、自然の材料を使ってケーキを振る舞ってたんだけどッコケ、今となっては里の爺ちゃん婆ちゃんは甘いもんばっか食べてたら医者に怒られるって言うからッコケ、こうやって大きい企業から請け負ってッコ、ってことを始めました。あ、ッコケ。」と工場長のニワトリ氏。「うちの職鳥たちは本当に翼の良い奴らばかりなんですよ。」鳥柄(鶏ガラ)温厚な工場長は、コケコッコーと鳴くことも忘れ誇らしげな表情を見せた。

 まずは生地作り。「仕込み」職鳥として一筋、ツバメのエンさんは、この工場を創業からずっと支えてきたうちの一羽だ。里山のありとあらゆるところから集めた材料をバランス良く組み合わせて生地を仕込んでいく。「オレはさ、若い頃は枝とかいろんな材料集めて、軒先から落っこちないようにって重さ気ぃつけながら巣作りしてたもんよ。まぁガトーショコラもそれと一緒。バランスが大切ってことさ。」素人にはわかるようでわからない、これこそが玄鳥の感覚ってものだろう。「さぁ見てみな。」そこには艶やかでうっとりするような生地が出来上がっていた。

 続いて、焼き上げ。しっとりさを残しつつ焼き上げる技術を持つ職鳥こそが、アデリーペンギンのアディ。「当たり前だろッッオレの技術が世界一ッッ低温熟成で焼き上げるううう」と目を見開きながら大声で騒ぐ姿は、まるでツイッタラー大好きなネタ画像のようだ。アディは足の上に生地を乗せると、毛が生えておらず体温を直に伝えることができる部分である抱卵斑を寸分の狂いなく生地に被せ、じっくりと焼き上げていった。実は、製造請負いを決めた当初は「焼き」専門の職鳥がいなかったらしい。困り果てた工場長が何となくTwitterを漁っていたところ、アデリーペンギンしか勝たんと確信し、自ら南極に赴きた当時芸人をしていたアディをスカウトしたとか。

 甘い香りが立ち上る。焼きたてのガトーショコラとのご対面。頭の中のポメラニアンが騒がしい今すぐにでも食べたい食べたい食べたい。「マダ完成ジャナイヨ」と、hiEの高さで聞こえる。「仕上げ」職鳥、スズメのチュン太郎は、焼き上がったガトーショコラの表面中央、僅かなくぼみができた部分に白い粉を入れると、そのくぼみにちょこんと小さな体を沈めた。そして次の瞬間、目にも止まらぬ速さで羽ばたき始めたのだ。なるほど、スズメの砂浴びならぬ粉砂糖浴びにより、まんべんなく粉砂糖が表面に舞い落ちるのか。浴び終わったチュン太郎が真っ白でシマエナガと見間違えそうなのはさておき、ガトーショコラの地面にはらりと雪が降ったような美しい仕上がりに目が釘付けだった。hiE「適当ニヤッテルヨウニ見エルケド素鳥ジャ無理ヨ」


 お土産にと、ニワトリ工場長が出来立てのガトーショコラを持たせてくれた。ほんのり伝わる温かさが、工場で出会ったた鳥たちと重なる。あわよくばずっと消えないでほしいこのぬくもりと共に、今日も二足歩行で家に帰ろう。

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