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お母さん

子どもの頃のことだ。
三田で、わたしは中学から大学を卒業するまでの10年近くを過ごした。
中学二年生の春というすこし中途半端な時期に引っ越した先で姉妹各々に部屋をあてがってもらい、初めて一人でくつろぐ心地よさを知り、私は夢見がちな乙女時代をその家で過ごしたのだった。

学校へ行くとき、遊びに出かけるとき、母はいつも玄関まで見送りに来てくれた。専業主婦で、家のことを整えることが仕事で、完璧主義者の母とは馬が合い、反抗期や思春期によって反発したり、やたら不機嫌で八つ当たりをした記憶もあるが、おおむね関係は悪くなかったと思っている。

その玄関まで見送りに来てくれた母と、ハイタッチするのが日課だった。
母はいつも、
「行ってらっしゃい、はよお帰り。」と言ってくれた。
私は母に言ったことがないけれども、自分の家はここだよ、居場所があるよ、と言われているようで、それがとても好きだった。

22歳で家を出て上京し、今年で15年がたった。
こちらで、新しく家族もできた。

就職先との折り合いが悪く、体調を崩して以来、職業:専業主婦だ。今もリハビリしながら、でもこの病とは一生付き合っていくんだろうなあ、このまま腐って終わりにしたくはないな、などと思いながら、では腐らずに病と付き合っていく方法とは?などと、自問しながら暮らしている。

とはいえ、今のところのミッションは、家を心地よく整えることである、母と同じく。
私はわかりやすいところから、母の真似をすることにした。
夫が出勤する毎朝、
「気を付けて行ってらっしゃい、はよお帰り。」
と言うことにしたのだ。

しばらくすると、夫からクレームがついた。
「早く帰っておいでって、見張られているみたいでいやだ。」
私は愕然とした。夫は、私ほど家に固執せず、自由に出かけたい気質のひとだったのだ。
今であれば家への居心地の良さの求め具合や執着度なんて、人によって千差万別だと思えるのに、そして、それはお互い伝え合わねば解らないことだとわかるのに。彼は家族としてやっていくために伝えてくれたって、むしろ喜んでしまうものなのに、その時の私はすこし傷つけられた気がした。

今朝、「敢えて言うよ!」と宣言してから、「はよ帰っちょいで!」と夫を送り出した。十年ぶりくらいになる。
ここ数日多忙で休日出勤も多い夫は苦笑いしながら、「早く帰りたいよー!」と家を出て行った。

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